隠居のうんちく



 
                         日本歩きの復権を!

                               

 またジジイの思い出話か、とお思いでしょうが、戦時中の少年にとっては、体操が苦手なことは致命的でした。当時、少年に与えられた唯一最高の目標は立派な兵隊さんになることでしたから、そのためには体操が得意ということは、たいへん結構なことでした。アタマなんて、鉄カブトをかぶる為にあればいいのであって、それこそツルカメ算なんかが出来たって、ろくな兵隊さんにはなれません。
 ご想像がつくと思いますが、私は運動神経が鈍い少年でした。それがいちばん露呈するのが、分列行進なのでした。
 全員が歩調を揃え、同じ側の脚を上げ、反対側の腕を振って、キビキビと行進します。そんな時、なぜか必ず一人は右脚と右腕、左脚と左腕を同時に上げて歩く者がいます。これは行進が整然と美しければ美しいほど、一人だけおそろしく目立ちます。私は自分ではべつに気も付かず、違和感もなく行進しているのですが、いつも先生にどやされるのでした。
 そして、自分たちが整列したまま、他のクラスの行進を眺めていると、たいてい一人は、たいへん見苦しく目立つ少年がいて――ああ、いつもボクがやってるのは、アレなんだな――と気付き、息が詰まるような思いがするのでした。
 ところがその、右脚と右腕、左脚と左腕とを同時に前に出す歩き方こそ、「ナンバ」と呼ばれ、明治維新前までは我が国の民衆のごく一般的な歩き方だったのだ、と私が知ったのは、実はつい近頃のことです。
 それが、どうして維新後、逆になってしまったのか、というと、それは明治政府が国民皆兵、徴兵制度を敷き、そして大日本帝国の軍隊を、欧米の(特に陸軍がドイツの)軍制を模範として作り上げてきたせいなのでした。
 そこで日本の軍隊の行進は、欧米の軍隊ふうの歩き方に統一されて全兵士に強制され、ひいては我が国の各学校の体操の時間にもそれが導入され、全国に普及していって、ついにはナンバ歩きの方が異端として排撃されるようになった、というわけなのです。
 ちょっと話が逸れますが、「左ギッチョ」への「弾圧」も、元はと言えば軍隊絡みだったようです。軍隊の武器はすべて右利き用に規格統一されて大量生産される方が有利であって、左利き用を別に作ると余計な出費が嵩みます。ですから、武器のほうではなく、兵士のほうを武器に合わせて改造することにした……つまり左ギッチョは幼少時から矯正すべきものとされたのです。(今はその点はいくらか寛大になったように見えますが、しかし、いま街頭に氾濫する自動販売機、自動改札機、ATMを見てごらんなさい。すべて左利きにはたいへん不便に出来ております。これは「隠れ左利き」である私が証言いたします。)
 話を戻しますが、ところで、ナンバは、上半身をねじらないので、余計な筋肉を使わず、体力の消耗が少ないので、一日に数百キロも走る江戸時代の飛脚たちは、みんなこの走法を用いていたということです。
 最近は、陸上競技はもとより、バスケットやプロ野球のピッチングにもこのナンバが取り入れられて、着々と成果を上げているようです。
 私が少年時代、あれほど恥ずかしく思っていた、あのナンバが、今や時代の脚光を浴びているのです。そうです、本当は私のほうが日本の正統な歩き方をしていたのです。
 今こそ、日本古来の正統な歩き方の復権を! 
 例えば、次のオリンピックの開会式には、日本選手団は全員、足並み揃えてナンバ歩きで入場行進をして欲しい! 最新のモードを発表するファッションショーでも、モデルのみなさまは、ステージにはシャナリシャナリとナンバ歩きで登場しようではありませんか。マラソン選手はも、率先してナンバマラソンに挑戦し、世界最高記録でゴールインすべきなのです!
 ……と、こんな気炎を上げていたら、早速「じゃ、自分でやってごらんなさいよ」と言う人が現れました(誰だか判るでしょう?)。
「まず自分で駅までナンバで歩いてごらん。自分でナンバでジョギングしてごらん。ナンバでテニスしてごらん。そういうことをしないで、口先だけで四の五の言ってるのが、インキョのウンチクってものの限界なのよ」だとさ。
 ……というわけで、私はシブシブ自分でもナンバをやってみました。(ここだけの話ですが、いやぁ、歩きづらかったねェ。)

                               

 
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