隠居のうんちく



 
                         パラサイトはエキサイト

                               

 総じて男が色の白い娘を好むのは(私は蜂蜜色が好きですが、そういう個人的な問題ではなく、最大公約数的に)、実は原始時代に、色の白いのはその娘の体内には寄生虫が少ないことの現れであったので、男は自分の遺伝子をより確実に増やすための母胎を選ぶ際に寄生虫の少ない、つまり色の白い娘を好んだことの名残りなのだそうです。
 ことほどさようなほど、ヒトと寄生虫との関係は、永く深いものだったようです。
 ところが、二〇世紀後半からの衛生措置の発達により、特に先進国の国民の体内から、とみに寄生虫が影を潜め、めでたしめでたし、ということになるかと思ったら、必ずしもそうでもないようなのですね。
 かなり昔、アメリカの大富豪のパトリシア・ハースト夫人が、美食による太りすぎを防ぐために、体内にサナダムシを育てている、というゴシップを耳にして、かなりのショックを受けたことがありました。寄生虫を美容に利用するという発想法が、なんだかおぞましく思えました。
 ところが、その後、ヒトが悩まされ始めたアレルギー疾患は、どうやらヒトの体内から寄生虫が駆逐され過ぎたせいらしい、という説に触れて、再びショックを受けました。
 つまり、ヒトは、その発祥のそもそもから、というよりヒトになる前から、ずっと寄生虫と付き合ってきたから、体のメカニズムとして、寄生虫と戦っている時にちょうど具合がいいように進化してきた。ところが、その好敵手が姿を消してしまったので、寄生虫と戦う体内の軍隊が相手を失ってしまった。「戦っていない時の軍隊ほど厄介なものはない」とは、ローマの昔から為政者の頭を悩ませた問題であって、だから古代ローマでは、戦闘が済むとすぐその軍隊に道路建設作業をさせることにしていた、とのことで、おかげで「すべての道はローマに通じる」と言われるほどになったのだ、と聞いたことがあります。
 つまり、今まで体内で寄生虫と戦っていたメカニズムが、戦う相手を失って、やたらに味方を敵と見間違えて挑みかかるようになったのが、アレルギーなのだというわけです。例えば円形脱毛症は、体内の軍隊がなぜか「毛根」を仲間ではなく敵だと誤認して攻撃して撃滅してしまった結果なのだそうです。花粉症も、アトピーも、蕁麻疹も喘息も、本来は寄生虫と戦うためだったはずの体内のメカニズムが、必要もない相手に戦いを挑んでいるせいだ、ということらしい。
 そこで一人の学者先生が、アレルギー対策として寄生虫を体内に飼うことを提唱しておられるのは皆様もご存じと思います。その先生は前述の大富豪の夫人と同じように体内にサナダムシを飼っておられたが、飼育というものはなにによらず手が掛かるもので、ある時暴飲暴食したら大事なサナダムシが死んで体外に排出されてしまったそうで、その際には愛犬や愛猫の死に目にあった時と同じような悲しみを味わったそうです。
 こんなふうに考えて行くと、これは「寄生」なんだか「共生」なんだか、よくわからなくなってきますね。そもそも、寄生と共生とは、どこでどう区別するものなのでしょう。大きく考えてゆけば、総ての「動物」は「植物」に寄生していることになる。動物は植物を食べ、その動物を動物が食べ、それをまた動物が食べ……という食物連鎖の最初には常に植物がある。動物は何も作り出さないで、植物から総てを得ているという意味で、植物への寄生生物です。ただ、動物が植物の花粉を授粉したり種を運んだりする、という意味では、共生だとも言える。
 その植物というものについてですが、植物の特徴とされている細胞内の「葉緑体」なるものは、そのいちばん最初は、その細胞とは別の生命体だったのが、たまたま細胞に「寄生」したらしい、ということです。ところが寄生した葉緑体が含水炭素を作り出してくれて、その細胞のためになるので、互いに持ちつ持たれつの共生関係が成立し、ここに目出度く植物が誕生したというわけらしい。
 同じような事情は、ヒトの細胞の中でも発生し、細胞の中のミトコンドリヤという存在は、もともとは別の生命体だったのが、いつの頃か細胞の中に侵入して居着いてしまった……つまり寄生したのだが、ミトコンドリヤは細胞の中に取り込まれた栄養をエネルギーに変える手助けをしてくれるので、細胞にとっても便利なので双方仲良く共生するようになったのだそうです。そのミトコンドリヤが共生をご破産にして宿主であるヒトを支配しようとしだす、というのが、ひところ評判になったSFの「パラサイト・イブ」でしたね。
 現在のヒトの細胞の中のミトコンドリヤは総て同じで、それは一番最初は十四万年前の南アフリカの一人の母親の細胞の中にあったものでした。つまり、現在の地球上の全人類は、そのたった一人の女性の子孫なのだそうです。勿論、十四万年前にも母親は何人もいたのだろうが、他の母親の子孫はみな絶えてしまって、その一人の母親の子孫だけが残ったのでしょうね。
 寄生に話を戻すと、そもそも私たちの血液の中にある「白血球」なるものも、その一番最初は動物の遠い祖先の血液の中に、外部から侵入して、そのまま居着いてしまった寄生の単細胞生物だったらしい。自分だって侵入者だったくせに、それ以来、後から入ってくる侵入者を捕まえては食べてしまうので、宿主にとっては好都合で、これまた目出度く共生が成立して現在に至っているらしいのです。
 そう言えば、バクテリヤも寄生者の一種ですが、これもヒトを病気にする悪しき寄生菌の他に、食べ物の消化を援けてくれる大腸菌のような共生菌もあるわけです。一口にバクテリヤなどと言って軽く見がちですが、一人のヒトの体内に棲む大腸菌の総数は一キログラムの重さがあるそうです。ついでながら、ヒトの体内の大腸菌の種類は、一つの家族では同じだが、家族毎にそれぞれ相違があり、当然他人同士の男女は体内の大腸菌の種類が違うのだが、一度でも肉体関係を持つと、たちまち菌の種類が全く同じになるのだそうです。
 こう考えていくと、私たちは自分が単一の生き物のつもりで生きているのに、なんだか体じゅうに寄生者やら共生者やらがびっしり取り付いた磯辺の岩かなんかのような気がしてきますね。いや、ヒトという存在そのものが、地球の寄生虫なのかも知れませんよ。

                               

 
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