隠居のうんちく



 
                         キャリーバッグが人類を作った

                               

 人類の発祥について、それは「二足歩行」から始まったと私は思っていたのですが、むしろそれは「手で運ぶこと」から始まったと言ったほうがいいらしいのです。
「二足で立つ」のはヒトだけではない、というのはご存じの通りで、ゴリラだってチンパンジーだって、いや、いや、カンガルーだってプレイリードツグだって二足で立ちます。ヒトと類人猿(チンパンジー、ゴリラ、オランウータン、テナガザル、ボノボ)との違いは、二足で立つことではなく、二足で歩くことです。チンパンジーも、歩く時は四足で歩きます。
 ではヒトは何のために二足で歩くようになったかといえば、どうやらそれは「手で運ぶ」ためだったらしいのです。
 ヒトの祖先とサル(含類人猿)との違いは、サルは食べ物を見つけるとその場でそのまま食べてしまうが、ヒトの祖先は見つけた食べ物を持ち帰って食べる、という点だったようです(狩猟採集行動と摂食行動との分離)。
 ヒトが初めて作った道具、といえばまず石器を思い浮かべますが、しかし実は人類最初の道具はおそらく「食べ物を運ぶ袋」だったろう、という推測があるそうです。石器は何百万年経っても変わらずに残るが、袋は(植物のツルだろうが動物の皮だろうが)たちまち朽ちて消えてしまい、後世の私たちの目には触れません。

 ちなみに、ヒトが他の動物と違うのは道具を作って使うことだ、と私は思っていましたが、しかしチンパンジーも道具を作って使うし、それどころか或る種の鳥だって小枝を加工してそれを嘴で操り昆虫を採食するそうです。
 道具について、他のどんな動物にもない、ヒトの特徴は、道具作りとその使用ではなく、「道具を作る道具を作る」ことと「道具を持ち運ぶ」ことなのだそうです。チンパンジーもゴリラもある種の鳥も、道具は現場で手や口を使って作り、使った場所に使い捨てにします。
 つまりサル(含類人猿)は食べ物でも道具でもよろず「現場主義」だが、ヒトの祖先には食べ物でも道具でも「運ぶ」という基本的な習性があったのでしょう。そして、運ぶためには二足で立つだけでなく、「二足で歩く」(手に持ったままで移動する)必要があったのです。
 ヒトの祖先は、運ぶ為に二足歩行し、運ぶために道具を作った。いずれもそれは運ぶためでした。

「運ぶ」という行為には目的地があることが前提になります。いったいヒトの祖先は食べ物を何処へ運んだのか。
 サル(含類人猿)には決まった巣がありません。毎夜行き当たりばったりの所に簡単な寝場所をセットして眠ります(だからサルにはノミが付きません。ノミは卵を獣体にではなく獣の巣に産み付けるので、決まった巣を持つ獣にしか寄生出来ないのです)。ところがヒトはそのいちばんの祖先の頃から、決まった塒へ帰って眠りました(だからヒトにはノミがたかります)。
 そうです、ヒトの祖先は、手に入れた食べ物をその場で食べずに、必ず塒に運んだのです。そして、塒にいる家族や仲間にそれを分配したのです。サルは、たとえば最も進化した類人猿と言われるボノボ(昔はピグミーチンパンジーと呼ばれていたが、近年チンパンジーとは別の種と認定されたそうです)も、いくらか分配行動をするようですが、それはあくまでも採集現場での話で、持ち帰りの上での分配ではないらしい。
 ところで、ヒトの祖先とサル(含類人猿)とのこの違いは、猛獣(ネコ科及びイヌ科)とサルとの相違点に、奇妙に一致してしまうのです。猛獣はサルと違って獲物をその場で食べずに決まった塒へと持ち帰り、仲間にそれを分配する。(それに付随して、排泄物を所構わず垂れ流すサルと違って、猛獣もヒトも塒から離れた所で処理し、埋め隠す。)(塒が決まっているからノミもたかります。)(絶えず軽食を続けるサルと違い、猛獣もヒトも一度に大食し、永い飢えへの耐性を持つ。)つまり、ヒトの祖先は、サルの仲間でありながら、猛獣と同じ習性を身につけることで、ヒトになったのです。
 でも、もちろんヒトの祖先と猛獣との違いもあります。猛獣は、物を運ぶのに口を用います。ところがヒトの祖先は猛獣ほど強い歯も顎も首も持ちませんでした。だからその代わりに手を使いました。手を使って運ぶには二足で歩行しなければならなかった。
 ヒトの祖先も、猿人(アウストラロピテクス)の時代には、まだ両手でじかに持てるだけしか運べなかったことでしょう。ヒトが道具を作り使うようになったのは原人(ホモ)の時代になってからだと言われていますが、キャリーバッグを手作り出来るようになってからは、特に小さな果実や虫などを一度に手で運べる量は飛躍的に増えたことでしょう。
 というわけで、ヒトの祖先がサル(含類人猿)と違う道を歩みだした分かれ道は、「運ぶ」という行為からだったし、その分かれ道をいちだんと推し進めたのは他ならぬキャリーバッグだった、と言えるのではないでしょうか。

                               

 
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