隠居のうんちく



 
                         みぎひだり

                               

 右や左の旦那様……というのは、乞食のセリフですが、ところで右の旦那様と左の旦那様とでは、どっちが偉いでしょうか?
 どっちも差がないとお思いでしょうが、さにあらず、古来日本ではちゃんと差がありました。
 お雛様を飾ると、三人官女だか五人囃だかの両脇に武装した貴族の人形が二人立っていますね。 あれが右大臣左大臣だとはご存知でしょうが、では二人はどちらが偉いのでしょうか。
 答えは左大臣です。
 それは、大化の改新以来、明治維新まで続いた官職ですが、ではなぜ左大臣の方が右大臣より偉いのか。
 そう決めたからそうなんだ、と言えば、その通りなのですが、でもそれにはそれなりの根拠があるのです。
「天子南面す」という言葉があります。つまり天皇は正式のセレモニーでは必ず南を向いて席につかねばなりません。
 また、昔は東西南北の方角にもランク付けがありました。最高位は太陽の昇る東でした。
 天皇に向って整列する家来たちは、従っていちばん偉い人がいちばん東に並びました。東が「上座」だったのですね。
「南面する」天皇に向かい合って並ぶ家来の列の、いちばん東側の端は、天皇から見て、列のいちばん左の端ですね。
 というわけで、いちばん偉い人は、天皇から見ると左の端にいるわけです。
 だからいちばん偉い人は左大臣と呼ばれたんですね。
 断っておきますが、雛壇では、左大臣の人形を飾るのは壇の左端ではありません。右左はあくまでも天皇から見ての話ですから、雛壇でも「お内裏様」から見た左、つまりお雛様を見る人間の側からは右の端になります。
 同じ理屈は雛壇の「左近の桜、右近の橘」にも通用します。左近の桜はお内裏様から見た左の端、つまり人間の側から見たら右の端に飾られるのです。
「彼の右に出る者はない」という褒め言葉があります。彼が最高だという意味ですが、これも、天子南面から生まれた言葉ですね。天皇から見たら臣下に彼以上の者はいない場合は、天皇の前で彼がいちばん東すなわち左に位置する……これは臣下から見たらいちばん右に位置する……つまり彼の右に出るものはない、というわけですね。ああややこしい!
 歌舞伎から現代劇に至るまで、舞台は、観客から見て右側の袖が上手(かみて)、左側の袖が下手(しもて)と呼ばれるのはご存知の通りです。
 これも、おそらくお雛様の例の、雛壇から見て左が上、右が下というランク付けと同様に、舞台から客席を見て、左がカミ、右がシモなのかも知れませんね。
 つい最近知ったばかりなのですが、落語の仕方話の決まりとして、大家さんが八っつあんに話しかける時は、噺家はお客から見て右から左へ向いて喋り、八っつあんの時は左から右へ向って喋ることになっているのだそうです。これも、役の上で目上のものは舞台の上手、つまりお客から見て右にいる心持、目下のものは下手、つまり左にいるという心地で演じるという不文律があるのでしょうね。
 話は変りますが、お魚の尾頭付きをお皿に盛りつけるとき、みなさんは頭をどちらに向けて置きますか? たいていは、頭が左に、腹が手前にくるように置くのではないでしょうか。
 実は東日本では、中央卸売市場でも、各漁協でも、その競り場では、タタキの上に魚を並べるのに、そのように(頭左、腹手前)置くことに決まっているのだそうです。硬いコンクリートの上に魚を置くと、魚の重みでどうしても下になる側が傷みます。従って、その段階からもう、お皿に盛る時に痛まない方が表側になって見栄えがよくなるようにと、置き方を配慮しているのです。(西日本ではいささか事情が違うようですが、それについてはまた稿を改めて……)
 では、どうしてお魚をお皿に盛る時には、頭を左に向けるのでしょうか。
 ここからは、あまり確とした根拠は示せませんが、わが推量としては、船の絵が関係しているのではないかと思われます。
 あらためて帆船、ボート、ヨット、軍艦etc.の絵をごらんになってみて下さい。船の絵は舳先が左を向いているものがたいへん多いことに気付かれるのではないでしょうか。有名な北斎の「神奈川沖浪裏」の浮世絵版画でも、覆い被さるような高波の下に描かれた小船は左を向いているでしょう。
 魚を置く位置を決める時、漁師の皆さんは、自分の乗る船の絵を参考にして魚の向きを決めたのではあるまいか。はっきりそこまで考えなくても、無意識にそれが念頭にあったのではあるまいか。そして、料理人が魚を盛り付ける時も、やはり船の向きを念頭に浮かべ、しかも魚の痛みの少ない側を上に、つまり左向きにお皿に乗せたのではあるまいか。
 では、なぜ船の絵は、舳先を左に向けたものが多いのか? それが解明されなければ、問題をただ先送りしたに過ぎませんね。
 昔の書物は、今のように紙を綴じたものではなく、ページを繋いでぐるぐる巻いてありました。つまり巻物です。
 巻物を紐解く場合、常に右から開きます。つまり右が始めです。読者は、右から見始めて、左へ巻物を広げながら見てゆきます。
 絵巻物の物語も右から始まって左へと進んでゆきます。つまり巻物の右は過去であり、左は未来なのです。
 船は空間的にはどちらへでも進みます。けれども時間的には進むのは過去から未来への一方向だけです。従って、絵巻物の船は常に右から左へ進みます。
 絵巻物の中で左を向いていた船は、そこから離れて一枚の絵として描かれるようになっても、やはり左を向いたままでした。メディアが変っても、人間の習慣や伝統というものは、そうすぐには変りません(自動車が発明された直後も、しばらくは車体の形が馬車そっくりで、御者台まで付いていました)。
 そんなわけで、船の絵はいまだに左向きが多く、そして魚もお皿の上で左を向いているのです。
 ところで、お酒好きの人のことを左党とか左利きとか呼びますね。これも天子南面か巻物が根拠だ、と言いたいところですが、実はこれはまるで関係ありません。
 大工さんが材木を刻む時、右手には槌(つち)、左手には鑿(のみ)を持って作業します。
 そこで業界用語として右手のことを「槌手」、左手のことを「鑿手」と呼びます。
 その鑿手がノミテ、飲み手と語呂が合って、酒飲みのことを鑿手つまり左手が利く……左利き、と呼ぶようになったのだそうです。
     (今回も一部堀江憲一郎氏の文を参考にさせていただきました。)

                               

 
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