隠居のうんちく



 
                         歳のとり方

                               

 元旦というものは、私の子供の頃は、一つ歳をとる日でした。
 生まれてから高校生になるまでは、そうでした。ところが、高校二年のお正月から急に歳をとる日ではなくなりました。
 つまり、一九五〇年一月一日に施行された「年齢のとなえ方に関する法律」によって、自分の歳をとなえるのにも、満年齢で言わなければならなくなったのです。(尤も、それ以前も、お役所へ出す書類は、一九〇二年以降は満年齢で記さなければならなかったのですが。でも日常生活では、数え年しか通用していませんでした。ところが、一九五〇年からは、それもいけないことになってしまったのです。)
 今の若い人々の感覚では(あんまり若くない人々も、かな。なにしろ戦後生まれの人は数え年経験は殆どないでしょうからね)、それぞれ違う日に生まれた人間が、同じ日に一斉に歳をとるなんて、ナンセンス、と思うのでしょうね。
 でも、私なんかの感覚では、紀元ゼロ年というものは無いし、平成ゼロ年というものもないのに、どうして人間にだけゼロ歳というものがあるんだ、生まれたとたんに一歳になって、何が悪い! と言いたい。人間は生まれた時が一歳で、元旦に一つ歳をとって、なにが悪い。現に韓国では、今でも公私ともに数え年で押し通しているじゃないか!
 なんて、いまさら言ってもはじまらないし、私もさほどそれに固執しているわけではありません。ただ、どうして昔は数え年で、今は満年齢計算なんだろう? と思うだけです。
 どうやら昔は、お誕生日というものは庶民のものではなかったようです。
 江戸時代までは、誕生日を祝うのは、天皇や将軍あたりだけだったらしい。
 勿論、赤ん坊が生まれればお祝いをするし、お七夜とかお宮参りとかはしたろうけれど、毎年お誕生日が来る度に祝ったりしなかった。バースデーケーキもお誕生パーティもなかった。むしろ、そんな個人的なことで騒ぐのははしたないこととして、好まれなかった。
 もともと当時は、人間の年齢というものは、個人的なものではなかったのです。例えば子年生まれの人間は、子年生まれの人間集団の一員、という意味しかなかった。
 だから、子年に生まれた人間は、子年の何月何日に生まれようが、子年集団の一員だから、全員同じ一歳、というわけですよ。だから、誕生日なんていう、その個人にしか関係のない日付なんか、いちいちとりあげる必要はなかった。子年生まれの人間は丑年になれば、全員二歳になる。寅年の正月になれば、一斉に三歳になる。
 因みに、還暦というのは、生まれた歳と全く同じ干支が巡ってくる年のことですが、それは十二支と十干との最小公倍数である六十年です。人々は還暦というと誕生日になると思っている人が多いようだが、これは暦の話ですから例えば子年の人が六十年目の子年の元旦になれば、もう元旦から還暦なんですね。(ついでながら、還暦は数え年では六十歳ではなくて六十一歳です。)
 誕生日もそうですが、そもそも昔は人間は個人としては扱われなかった。例えば封建領主と領民との関係も、殿様と農民との関係ではなかった。常に領主と村との関係であって、年貢のやりとりもその交渉もすべて村単位であって、農民個人という概念はなかった。
 考えてみれば、村という共同体にとっては、その個々の成員の個性とか自我とかは、共同体の纏まりの邪魔になる要素でしかなかったでしょう。だから、個人性というものは、当時は病気の一種と思われていたでしょうね。
 というわけで、共同体主体の社会では歳の数え方は数え年、個人主体の社会では歳の数え方は満年齢、というふうになるのですね。(以上は、堀井憲一郎氏の文章を参考にさせて頂きました。)

                               

 
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