隠居のうんちく



 
                         ご隠居さん学余話──ナマカジリの勧めと戒め

                               

「横丁のご隠居学」関係について、早速いくつかご感想のお手紙を頂き、けっこう興味を持って頂けたようだ、と意外な思いに打たれました。
 例えばこんなお手紙を頂きました。
「(前略)夫に横丁のご隠居学の話をしたら、僕のしてる事もおなじかもしれない、と言いました。(中略)調べてくると話してくれますが、私はあまり興味がなくて、ふんふんと聞いていますがすぐ忘れて、次回続きを話すとき覚えてませんので、面白くないみたいです。(中略)調べている姿は、いいなと思いますが、やたら聞かされるのは、時として迷惑です。八さんや熊さんが迷惑する姿も入れてください。ホホホホ。(後略)」
 いやぁ、マイッタ! そうか、以前某所での小スピーチなどで隠居が浴びた、聴衆の皆様のあの冷たい視線こそが、八つぁんや熊さんの視線そのものだったのですね。横丁のご隠居学には、常に一つの弊害が付随し、それは、嫌がる相手をとっつかまえて、無理矢理ウンチクをうけたまわせる、という普遍的な傾向なのですね。
 もう一つ、耳に痛いご指摘を引用させて頂きます。
「(前略)横丁の隠居論が、たんに処世上の心構への提唱ではなく、今日タダイマからの実行の宣言だとすれば、その意まことに壮、感服仕りました。
 しかしながら、大人の為の幼稚園ではなくスノッブたちの仲好しクラブでもない隠居所の設営は、今日易しくはないでせう。その門戸は、いつでも、誰にでも、開かれていなければならないし、その上ビールや紅茶には出費が伴い、便所の掃除やら花や掛け軸の交換やら労働を強いる。ご隠居には、ホメロスから春樹までのウンチク、モー娘からビン・ラーデン氏までの消息が求められる。また、太陽の色は絵具にはないのぢゃ」とか、「とはとは千早の本名でござる」とか、きっぱりと引導を渡してみても、クマ公や八ッツアンが帰ったあとの憂愁には身をよぢらせて耐へねばならぬ。ご隠居には、もしかしたら、偽悪の仮面とヴ・ナロードの精神が必要なのかもしれない。
 思えば、孔子スクールもプラトンのアカデミーもマラルメの火曜会も、実情は大変だったに違いない。(後略)」
 なんだか、まことに怖いことになってきました。ひょっとしたら、隠居はとんでもない無謀な道に足を踏み入れてしまったのかも知れない。なにしろ孔子です、プラトンです、マラルメです。隠居はホメロスも春樹も生かじりです。両者の間に挟まっている気の遠くなる程の膨大な存在については尚更です。モー娘に関しては小一の孫娘にこれからいろいろ教わろうと思いますが、こういうのをドロナワと言うのでしょう。
 しかし、ですよ、ここで怯んでは隠居の名が廃るというものです。隠居はダテに隠居を張っているわけではありません。隠居にはツヨーイ武器があります。それは「居直り」です。
 たとえば哲学とか文化人類学とか、数学とか生物学とかいった「学」と肩を並べることが出来るようなレベルにまでご隠居学を高め、とどまるところを知らない「学」の頂を目指す、という行き方がもしあるとすれば、それは「ご隠居学についての学術的研究」なのであって、「ご隠居学」そのものではないのです。ご隠居学の目指すのは、「学問の娯楽化」です。つまり、まさに「大人の為の幼稚園」なのです(尤もスノッブたちの仲好しクラブは隠居もご免ですが)。世の中の為にも当人の為にも何にも役に立たない、ただ単に当人の興味をかき立て、当人の探求心を満足させ、面白がらせるだけの「学」があったっていいじゃないか。
 横丁のご隠居学の神髄とは何か。それはナマカジリというものです。ご隠居学の専門家、なんてものは存在しません。だって、そんなものになったら楽しくなくなるじゃないですか。読みかじり、聞きかじりをかき集め、ああでもない、こうでもない、とひねくり回して遊ぶ。これこそが、ご隠居学の醍醐味です。
 というわけで、さて、このへんで、一、二、ご隠居学のサンプルとして、ウンチク──というか、ウンチクの失敗例を紹介いたしましょう。

「海は新幹線」
 我が国は本州はじめ陸地が中にあって、それを海が取り巻いています。イギリスだってアメリカだってオーストラリアだって、陸が中にあって海が外側を取り巻いています。
 ところが、地球上に生まれたいちばん最初の国々は、逆に海が真ん中にあって、外側に陸があったのだそうです。例えばエーゲ海文明とかクレタ文明とか。我が国でも、例えば対馬海峡が真ん中にあって朝鮮半島の南岸から九州北岸までが一つの國でした。
 なぜそうなのか、というと、その頃の交通は、海路が新幹線、陸路は鈍行だった。國が一つにまとまる為には、まず國の隅々まで軍隊と役人が速やかに行き来出来ることが必要だった。だから、新幹線である海が真ん中にあって、陸が周辺にあった方が國を纏めるのに便利だったのです。
 今でも新幹線の駅に近い地域の方が東京へは早く着けます。つまり、時間的、心理的に、都に近い。昔も陸地の奥の地域よりも、海に近い地域の方が、海という新幹線によって、時間的心理的に都に近かった。ですから、海に近い方が「上」、遠い方が「下」と呼ばれました。
 ところで、上古、南関東には「ムサ」という國があった。そして、ムサの國の海に近い半分は「ムサ上」つまりムサガミと呼ばれ、海から遠い半分は「ムサ下」つまりムサシモと呼ばれました(ちなみに当時は東京湾の開口部は南ではなく東に向かっていた)。やがて、そのムサガミの頭の「ム」が取れて「サガミ」の國となり、ムサシモの方はなぜか尻尾の「モ」が取れて「ムサシ」の國となりました。
 隠居は例によって、止せばいいのに或る席で得々とこうしたウンチクを並べました。すると、さっそく会場から発言があって、そうした史実の出典はどこの何という文献か、という質問が出ました。隠居は慌ててメモを調べたが、うっかり書き忘れてどうしても出典が判らない。冷や汗をかいて後程お報せしますと約束して、帰宅してから血眼になって探したが、やっぱり見つからない。そのまま、未だに判らないていたらくで、まったく恥ずかしい限りです。まったくシマラナイ話だが、どなたかそれをご存じの方は居られないでしょうか。
 ……と、恥を忍んでお願いしたら、後日、ちゃんと教えてくださった方が居られます。なんとその出典は「古事記伝」でした。これで隠居もやっと大船に乗った気持ちになれるというものです。なんといっても古事記伝です。本居宣長というツヨーイ味方が、隠居に付いたんですから、もう矢でも鉄砲でも持って来い、っていう心境ですね。教えて下さった長屋の与太郎様、まことに有り難うございました。
 という具合に、ご隠居学にも、いろいろ危険が付きまといます。皆様もくれぐれもご用心を。

                               

 
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