隠居のうんちく



 
                         わらべ歌、子守歌、民謡

                               

 「行きはよいよい、帰りはこわい」のは何故?

「通りゃんせ」というわらべ歌をご存知でしょう。(後述の「付録」をご参照下さい)
 あの歌詞の中には何故、「天神様の細道じゃ」とか「御用のない者通しゃせぬ」とか「行きはよいよい、帰りはこわい」などという言葉があるのでしょうか? なんだかその裏には、特別の事情が潜んでいそうな気配がします。
 これは、埼玉県川越市の三芳野神社のことを歌っているのだ、という説があるそうです。
 この神社は菅原道真を祀っていて、参道が細道だということです。でも、それだけでは同じような天神様は全国にいくらでもある筈です。
 ところで、なぜ「御用のない者」は通さないで「帰りはこわい」のでしょうか。
 実はこの神社は、江戸時代には、川越城の城郭の中にあったのだそうです。お城の中ですから、当然、領民が勝手に出入りするというわけにはいかなかった。しかし、地域の鎮守さまですから、領主といえども領民の参拝を全く禁じるというわけにもいきません。例えば七五三のお祝いなんかには特別に城内へ入ってお参りすることが許されました。勿論その場合は門番に「この子の七つのお祝いにお札を納めに参ります」などと訳を話して「どうぞ通してくださいな」と頼んで許可を得なければなりませんでした。
「入り鉄砲に出女」という言葉があります。箱根の関所では、江戸に向って入る人間に対しては特に鉄砲を持っていないかどうか、逆に江戸方面から出て行く人間に対しては特に女性の身元について厳重に詮議されたのだそうです。それは江戸城下には諸国の大名の奥方が人質として強制的に住まわされていたので、彼女等がこっそり国許へ逃げ出すことを特に警戒したのですね。
 こうした事情は関所だけでなく、お城の出入りにも共通なものがあったろうと思います。
 入った人間と城内の人間とが摩り替わって出て行くようなことのないように、番人が頑張っているところというものは、概ね入る時よりも出る時のほうが、詮議が厳重になります。というわけで「行きはよいよい、帰りはこわい」ということになるのです。
 ですから、この歌は川越の三芳野神社のことなのだ、というわけです。

 「子守も嫌がる……」「この子よう泣く子守を苛る」とは?

 子守歌というものは、赤ん坊に歌って聞かせるものですよね。「坊やはいい子だ、ねんねしな」とか「ねんねこさっしゃりませ、寝た子の可愛さ……」といった調子に、赤ん坊に語りかけて可愛い可愛いとあやすのが子守歌です。
 ところが、「竹田の子守歌」だけは、反対に、いやだいやだ、と赤ん坊を突っぱねる歌詞ばかりです。どうしてこんなヘンな子守歌ができたのでしょうか?
 実はこれを「子守歌」と名づけたのは誤りだったのです。これは「守子歌」なのだそうです。「守子」つまり「子守娘」の労働歌なのです。
 竹田は、江戸時代、京都の被差別部落だったそうです。被差別部落から子守として働きに出された年端もいかない小娘の、労働の辛さを嘆いた歌だったのです。この歌は住井すえ作「橋のない川」が舞台化された折に、京都の竹田地区で採譜された民謡が編曲され使われたのが世に知られるきっかけでした。
 この歌の歌詞にも出てくる「在所」という呼び名は、当時は被差別部落を指す言葉だったそうです。この言葉が歌詞にあるため、この歌は四〇年ばかり前からつい先ごろまでテレビやラジオでは放送禁止曲とされてきました。(以上は森川達也氏のエッセイで知りました。)
 ちなみに、江戸時代には、子守娘の赤子殺しが多くて、社会問題化し、とくに厳罰で臨んだという記録があるようです。当人自身がまだ幼い子守娘が、疲れて眠くて眠くて堪らないのに赤ん坊に泣かれて、耐え切れなくなってもうろうとしたまま衝動的に殺してしまうケースが多かったようです。

 「ちゃっきりちゃっきりちゃっきりよ」と「ちょっきんちょっきんちょっきんな」

「ちゃっきり節」という歌があります。わたしは、これはてっきり伝統的な民謡だとばかり思っていたのですが、三木卓氏著「北原白秋」によると、これは白秋が一九二七年に当時の静岡電気鉄道の依頼で、沿線に開設した狐ヶ崎遊園地の宣伝のために作り、オープニングセレモニーで披露された歌だそうです。作曲は町田嘉章氏で、実に三〇番まである長大な歌なのです。私は未だに全部聴いたことはありません。
 そう言われてみると、「ちゃっきり節」の囃し言葉は、白秋作詞の童謡「あわて床屋」の囃し言葉とよく似ていますね。
 白秋という人は、近代詩、短歌、童謡から民謡まで、まったくいろんなものを作った人ですねー。みなさんの卒業された学校の校歌にも、北原白秋作詞というのがけっこうあるのではないでしょうか。

 付録
 「通りゃんせ」
 通りゃんせ 通りゃんせ ここは何処の細道じゃ 天神様の細道じゃ
 ちょっと通してくだしゃんせ 御用のない者通しゃせぬ
 この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります
 行きはよいよい 帰りは怖い 怖いながらも通りゃんせ 通りゃんせ

 「竹田の子守歌」
 子守も嫌がる 盆から先は 雪もちらつくし 子は泣くし
 この子よう泣く 子守をいじる 子守は一日 痩せるやら
 早よも行きたや この在所越えて 向こうに見えるは 親の家
 久世の大根飯 吉祥の菜飯 またも竹田の もんば飯

 「ちゃっきり節」(一九二七年 北原白秋作詞 町田嘉章作曲)
 唄はちゃっきり節 男は次郎長
 花はたちばな 夏はたちばな  茶のかおり
 ちゃっきり ちゃっきり ちゃっきりよ
 きゃアるが鳴くんて 雨ずらよ
(註 「鳴くんで」だと思っていたら「鳴くんて」が正しいのだそうです。)

 「あわて床屋」(一九一九年 北原白秋作詞 山田耕作作曲)
 春は早ようから 川辺の葦に
 蟹が店出し 床屋でござる
 チョッキン チョッキン チョッキンナ

                               

 
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