隠居のうんちく



 
                         お椀は匙だ

                               

 隠居のウンチクも次第に危険なジャンルに踏み込もうとしています。食文化に関しては、隠居よりも詳しい面々が長屋には勢ぞろいしていて、たちまちボロが出そうな気配に隠居は怯えています。でも敢えてそれに挑むのが隠居の無謀性(無謬性ならいいのだが、だいぶ違う)というものです。
 地球上の人口の約三〇パーセントがハシを使い、三〇パーセントがナイフとフォークとスプーン、そして四〇パーセントが手づかみで食事を採ります。もちろん、ナイフフォークスプーンが進歩的で手づかみが原始的だなどというのは間違いで、人類の文化には古来多様で対等の価値観が共存し、そのうちのどれかが優れているとかススンデイルとか決め付けるのはとんでもない偏見である、というのが構造主義哲学の基本だと聞きかじったような気がしますが……これでいいのかな。
 さて、その三〇パーセントのハシ文化ですが、それは「ハシだけ文化」と「ハシ匙文化」と「匙ハシ文化」の三通りに分かれます。
 まず「匙ハシ文化」の代表は韓国(北朝鮮も)で、むしろ「世界一の匙文化」の国とも言われているそうです。その食事は匙が主体でハシは補助的(御飯も匙で食べます)。
 次に「ハシ匙文化」は中国が中心。こちらはハシが主役で、匙は補い(「湯」つまりスープを頂くときのチリレンゲのみ)。
 ところで「ハシだけ文化」はといえば、これは言うまでもない、わが日本だけ。いまやわが国の食文化は乱れに乱れ、匙、チリレンゲはもとより、ナイフ、フォーク、スプーン、手づかみが交錯し乱交し、ハシも「握り箸」しか出来ぬ手合いが続出し、先割れスプーンなる怪物さえ登場し、収拾がつかなくなっていますが、ここで隠居が言っているのはそんな現状ではなく、わが国本来の正統派「小笠原流」家元直伝の日本食文化のことなんですよ(と大きく出ておこう。直伝なんて、されていないんだけどね)。
 日本料理は、ハシだけで食べるのが基本なのです。そのため、わが国では幾つか独自の工夫が生れました。その一つは、ハシの先っぽを尖らせたこと。ご存じのように例えば中国料理のハシは先が元と殆ど同じ太さのままです。ところが日本では、ハシの先を尖らせるという大発明がなされました。お陰で私たちは里芋の煮っころがしも、お皿の外へ飛び出させずにグサッと仕留めることが出来ます。つまり、ハシはフォークの役割も果たすようになったのです。場合によっては、ハシの尖った先はナイフの役割も果たします。
 更に、日本料理はハシだけというのは、つまり匙が用いられないということです。茶碗蒸しに匙がついてくるのは、あれは本当は反則レッドカードなのです。ではスープはどうするんだとお嘆きの向きには、お椀を持ち上げなヨ、と申し上げたい。そうです「器を手で持つ」というのが日本の食文化のもう一つの特色なのです。
 フランス料理店で貴方がスープ皿を持ち上げたら、店じゅうの注目が集まり、ボーイさんが慇懃にスプーンの所在に関して貴方の注意を喚起しようとするでしょう。イタメシヤでパスタの皿を持ち上げたら、やはりウエイトレスが飛んできてフォークの存在を確認しようとするでしょう。中国料理でも韓国料理でも同じです。日本以外のすべての国の料理に於いて、器を持ち上げるのはテーブルマナーに反するのです。器はすべてテーブルに置いたまま、中身をフォークやスプーンやハシなどで取り上げて、口に運ばなければならないのです。
 しかし、日本料理には本来匙という概念がありませんでしたから、もしお吸い物などを外国のように器をテーブルに置いたまま口に入れようとしたら、口の方をテーブルの上の器まで持って行かなければならない。これを「犬食い」と称して忌まれているのは言うまでもありません。
 つまり、その点が日本料理だけの例外なのだそうです。器はすべて持ち上げ可。いや、すべて持ち上げなければいけないのです。だから日本料理の器はすべて小さめに作られています。御飯茶碗を持ち上げようとして腕をくじいた、なんて人は聞いたことがありません。
 例えば、お刺身をお下地に付けて口に運ぶ時、お下地が垂れないように「お手皿」といって左掌を下にあてがうようにすることがありますが、あれは小笠原流ではNO! なのだそうです。そんな時には、お下地の皿をお下地ごと左手で持ち上げて、口の下まで持っていってあてがえばいい・・・・いや、あてがわなければいけない(隠居も永いことそれを間違えていました)。
 とにかく、お膳の上の食べ物はすべて器ごと口の近くまで左手で持ち上げて食べるのが正しいマナーなのだそうです。
 ところで匙とは何か? こういう設問をするから隠居とは付き合いきれないなどと言わずに付き合って下さい。匙とは、テーブルの上の流動的な食べ物を口まで運ぶ器具であります。だとしたら、テーブルの上のお吸い物を口まで運ぶ「お椀」は「匙」でしょう。
 そうなのです。日本料理の器はすべて匙を兼ねているのです!(なにを一人で興奮しているのか、なんて訊かないで下さい)
 そしてその、器の匙化のための独自の考案が、お皿やドンブリや茶碗やお椀や湯呑の下の「糸底」なのです。もしそれらをお膳から持ち上げないのなら、糸底は不用です。器の下に指が入り、器を持ち上げ易くするために、糸底は生み出されました。日本以外の国の器には糸底はありません(と思うのですが……)。
 匙とはテーブルの上の流動的な食べ物を口まで運ぶもの、と前述しましたが、そういえばこの定義が当てはまる器具がもう一つありましたね。そう、コップですよ。ではコップの特徴とはなにか?(ますます空しい、なんて言わずに)それは「取っ手」があることです。
 日本食の器はコップ的な機能も兼ねているわけですが(湯呑など)、そう考えるとコップの「取っ手」に当たるのが日本食の器の「糸底」だ、とも言えるわけです。
 かくて、日本の食文化においては、器は同時に匙になったりコップになったり、またハシもフォークやナイフを兼ねたり、なかなかに忙しいことですな。

                               

 
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