隠居のうんちく



 
                         時刻の今昔

                               

「お江戸日本橋七つ立ち……」
「なんどきだ?」「九つで」「十、十一、十二……」
 昔の歌や落語に出てくる時刻の数え方は、けっこう厄介で、覚えるのに苦労します。
 でも最近、その簡単な覚え方を教わりました。
 早い話が、夜明けが「六つ」、日暮れも「六つ」と覚えればいいのでした。
 そして、正午が「九つ」、真夜中も「九つ」です。
 つまり、六つと九つを覚えればいいのです。
 なあんだ「六つ」は、今の「午前六時」「午後六時」と思えばいいんだ……と思ったら、大間違い。
 昔は、冬の夜明けも、夏の夜明けも、どっちも「明け六つ」だったのです。
 今は、冬の夜明けは本州では午前六時過ぎから七時過ぎだが、夏の夜明けは午前四時から五時頃でしょう。でも、昔はそのどちらも同じ「明け六つ」だったのです。
 とにかく、一日の始まりが「明け六つ」なのです。
 そして昔は、夜が明けなければ一日は始まらなかったのです。始まらないのに時刻を数え始めたって無駄だ、ということなのでしょう。
 そして正午は、冬でも夏でも、太陽が南中する時刻です。
 従って、冬と夏では「明け六つ」から「九つ」までの時間の長さが違う。冬の午前中は、夏の午前中より、随分短い。
 同様に、午後、つまり「九つ」から「暮れ六つ」までも、冬と夏では明らかに違う。冬の日の入りは午後四時過ぎから五時過ぎ、夏の日の入りは午後七時から八時です。それが、どちらも「暮れ六つ」なのです。したがって、午後も冬と夏では永さが違う。
 要するに、一日の永さが、冬と夏とでは、四時間以上も違ったのです。
「そんないい加減なことでいいのか! 時給の計算が不公平になるじゃないか!」というのは、現代の感覚です。
 むしろ「夜が明けようが明けまいが、午前六時は午前六時だ」という感覚のほうが、自然のあり方を無視した暴挙ではあるまいか、というのは、作家の堀井憲一郎氏の見解です。
 なるほど「一日は日の出(明け六つ)と共に始まり、日没(暮れ六つ)と共に終わる」という感覚のほうが、「冬の日の出は午前六時何分で、夏の日の出は午前四時何分だ」などという感覚よりも、自然に密着し、自然と共に暮らす感覚に相応しいですよね。
 堀井氏によれば、「夜が明けようが明けまいが午前六時は午前六時だ」という感覚は、明治維新によって欧米から持ち込まれた、自然を超越した絶対神を崇める一神論の精神であって、日本のような自然と共に生きた汎神論の世界にとっては、元来異質の発想方なのだ、ということです。
 とにかく、昔の日本では、時間の長さというものは一定ではなくて、冬と夏では伸びたり縮んだりするものだったのですね。
 ところで、正午の「九つ」と日暮れの「六つ」の間はどうなっていたか?
 その間は、三分割されました。そして、時が経つのとは逆に「九つ(正午)」「八つ」「七つ」「六つ(日暮れ)」と減らして数えられて行きました。
 日暮れの「六つ」が過ぎたら、やはり真夜中の「九つ」までが三等分されて、これもやはり時の経つのと逆に「六つ(日暮れ)」「五つ」「四つ」と減らしていって、「四つ」の次は「九つ(真夜中)」です。
 真夜中の「九つ」からは、また順次「八つ」「七つ」と減って行って「明け六つ(夜明け)」になります。それから更に「五つ」「四つ」になり、また正午に「九つ」になるのです。
 なんで、こんなに厄介な数え方をするんだ? と私は初めウンザリしました。
 でも、それは私がこれまで一つの固定観念に縛られて来たからではあるまいかと、ふと気づきました。
 それは「時間というものは、積み重なって、溜まって行くものだ」という観念です。零時から始まって、一二時まで、或いは二四時まで積み重なって溜まって行くものだ、という。
 でも、昔の人は「時間というものは使われて減って行くものだ」と思っていたのではないでしょうか。
 正午(九つ)の昼の真っ盛りから、時間がだんだん八つ、七つ、六つ、と減って行き、日没から更に五つ、四つと減って、そして真夜中になると、また九つの満タンになり、そこから再び時間は使われて減って行く。
 考えてみると、時間というものは確かに増えませんよね。ただ経って行くだけです。
 厳密に言えば、私達は寿命という時間の量を与えられ、死ぬまでそれを使い減らして行くのです。
 だとしたら、時間は次第に減って行くものだ、という昔の人の時間感覚のほうが、正しかったのではないのでしょうか。

 追記 そもそも「時計」というものが、それ自体が、欧米でも産業革命以後に生活の中に持ち込まれたものであって、それ以前には一般的には使われていなかったのだそうです。
 それは、労働が時間単位で売り買いされるようになってから、生活必需品になったのだ、ということです。
 それまでは、いわば労働は出来高制で評価されていたのが、大量生産、分業制度になって、時間単位でしか評価出来なくなってしまったから、時計が必要になってしまったのでしょうね。

                               

 
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