隠居のうんちく



 
                         声変り

                               

 我が家に掛かって来るコマーシャル電話のうち、主婦向けのものは、妻が電話口に出ると、たいてい開口一番「奥様はご在宅ですか?」と訊きます。妻は憤然として「留守です」と答えて電話を切ります。
 妻は、若い頃から決して声の高い方ではなく、コーラスのパートはアルトでしたが、しかし男と間違えられるほどではありませんでした。
 じつは、隠居にも同じような体験がありました。嘗て市民運動の仲間を地方議員に、と選挙応援をした折り、支援者から提出してもらった名簿で投票依頼の電話を掛け捲っていたうちに、電話口に出たやさしい声のお年寄りに「ご主人はご在宅ですか?」と訊ねたら、「私が本人ですが」と答えられ、慌てふためいたことがありました。
 どうも、大人の声は、若いうちは男女の別は、はっきりしていますが、歳をとると次第に似てくるようです。
 なぜ似てくるかについては、その前になぜ男女の声は違うのかを考える必要があります。
 ご存知のように、人間の声は、子供の頃には男女、ほとんど変わりません。
 それが、思春期になると男性には声変わりというものがあって、急に声域が一オクターブほど下がります。つまり声帯の長さが急に二倍になるのです。
 ここで男の声と女の声とは違ってくるわけです。
 それでは、女性には声変わりは無いのか、というと、やはりちゃんとあるのだそうです。
 しかし、女性の声変わりは、男のように、思春期にいっぺんに急激に訪れ、その後はあまり変らない、といったふうなものではなく、一生に渉って少しずつ一定の割合で変化して行くもののようです。
 つまり、グラフで示せば、男の声変わりは思春期に急激な下降カーブを描き、そのピークから最後まではほぼ水平な線になるのに対して、女性の声変わりは、思春期に少し(二音半ほど)低くなったまま、なだらかな一定の角度を保って一生少しずつ下がり続ける、というわけです。
 したがって、一生の終り近く、つまり老年期になると、両者のグラフの線は次第に近づいてゆき、遂には交差してしまう……つまり同じ声域になってしまう、というわけです。
 だから、老人の声と老婦人の声が聞き分けにくくなるのは当然なのです。
 しかし、一般には声変わりというと、男の声変わりしか取り上げられないようですね。
 その「男の声変わり」は、近頃は次第に低年齢化し、今では小学校卒業時には、男児の半分は声変わりし始めているそうです。
 だから、昔の学校の唱歌の教科書では、今はもう音楽の授業が出来ないようです。男の子の半数はそんな高い音程では歌えないのです。
 一八世紀には、声変わりは一八歳ごろだったそうですから、随分変ってきたものです。
 ところで、声変わり以前の男の子の声も、昔と比べると変ってきているようです。
 今は昔ほど戸外で大声ではしゃぐことがなく、室内や近距離で話す生活になり、家の構造も音がよく響くようになったから、大声を出す必要がない。高い声と大きい声とは違いますが、発声の基本に共通性があって、声が大きいと音程も高くなりがちだし、声が小さいと音程も低くなる。
 テレビのCMソングも大人が歌うものが多いから低音化し、それを覚えて歌う子供も低音化する。
 なによりも大人が、子供の高い声を可愛いといって好むことがなくなり、大声をうるさがるようになった。
 こうして、声変わりする前から、子供の声が昔より低くなってきているのだそうです。
 これは、男の子だけでなく、女の子にも共通する現象なのでしょう。
 世の中が変ると、子供の声まで変ってきてしまうのですね。

                               

 
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