隠居のうんちく



 
                         氷河期

                               

 地球は今、永いスパンでみると、氷河期に向かっている、ということです。それを知った時、私は暗い気持ちになりました。どうせその頃は私は存在しないから、どうでもいいようなものの、この地球が次第に冷えて氷河に覆われていく、というイメージは気持ちのいいものではなかった。
 ところが、最近知ったのですが、地球上では氷河期の方が、むしろ生命の豊かな時代だったようです。
 というのは氷河期には大気中の水蒸気が凍って地上に蓄えられ、少しずつ融けて常時適度に地面に水分が供給されるので、森が豊かに広がり、動物が大いに繁殖したのだそうです。
 氷河期は空気が乾燥してむしろ雪が少なかったので、地表の草を動物が食べ易かった。
 氷河期が終わると、地上の氷が融け、どんどん水蒸気になって上空に去り、地表は乾き、森が減り砂漠が増えました。地上の乾燥とは逆に、空気は湿り、雪が増えて動物の食料の草を覆い隠し、それがマンモスの絶滅の一因になったと考えられています。
 地表の乾燥と雪の増加とは矛盾するじゃないか、と私も奇異に思いましたが、つまり、こういうことではないかと思います。
 陸上の生き物にとって不可欠な「真水」は、地球上のすべての水の一%しか存在しません。
 ところで、宇宙から見ると、地球の全面積の五〇%が常に雲に覆われています。しかし、そのとき雨の降っている部分はその三%にしか過ぎません。雨を降らす雲は例外的な雲なのです。
 早い話が、現在のような温暖期には、地球上の真水の大部分は水の形でなく、雲の形、または目に見えない水蒸気の形で存在し、そのうちの例外が地上に降って来るのです。
 しかも、そのなけなしの真水も、強い日差しでたちまち水蒸気になって空に戻ってしまう。さもなければ、河となって流れ去ってしまう(そして最終的には海に流れ込んで塩水になってしまう)。
 ところが、氷河期には、その例外的に地表に降ってきた真水は、すぐに氷の形になってその場に貯蓄されます。蒸発もせず、河にもなりません。
 塵も積もれば山となる。どんなに微々たる量の真水でも大部分が失われずにその場に蓄えられていけば、いつかは氷山になる。つまり、氷山とは真水の貯金箱なのですね。
 地上に真水が増えれば、上空には水蒸気が減る。従って空気が乾燥して雪が減る、ということになるのでしょう。
 こうして氷河期は、生き物に必要な真水が、温暖期よりも地表に多く存在し、生き物の大いに繁殖する豊穣の時代になる、というわけです。
 事実、氷河期の代表的な動物といえば、ご存知の通り巨大なマンモスですよね。
 ところで、マンモスがなぜそんなに巨大になったか、といえば、それもまた、氷河期のせいだ、とのことです。もちろん氷河期は豊穣の時代で、大食いの図体を養えるほど食料の草が豊富だったから、ということもありますが、それなら個体は小さくて数が多くてもよかった筈です。
 それなのになぜあんなにマンモスが巨大になったか、といえば、寒い時には大きい方が有利だからです。
 数学の時間に、「面積は長さの二乗に比例し、体積は長さの三乗に比例する」と習ったことを思い出して下さい。
 動物の身長が2倍になると、表面積は四倍になり、体積は八倍になります。そこまで増えなくても、体積が2倍になっても表面積は一・六倍程度しか増えません。
 寒い時には表面積が大きいほど恒温動物の体温は沢山失われます。だから同じ体積だったら表面積が小さい方が有利です。ところが、体積が増えれば増えるほど表面積の増え方が少なくなってゆく。だから寒い時には図体が大きいほど有利なのです。だからマンモスはあんなに巨大なのです。ただ、いくらでも大きいほど良い、というわけにもいかない。必要な食料も増えるとか、いろいろ他のデメリットとの兼ね合いで、あの大きさが最適、ということになったのでしょうね。
 人類の発展にも、氷河期は大いに寄与しているようです。
 南北アメリカ大陸がゴンドワナ大陸から分離した時には、まだ人類は発生していませんでした。従ってアメリカ大陸には、人類はいませんでした。霊長類も南北アメリカには「原猿類」しか棲んでいません。
 やがて氷河期が来て、ベーリング海峡が凍り、アジア大陸とアメリカ大陸が地続きになりました。その時には既に現生人類にまで進化していたわれわれのご先祖は、お陰で自分の足で歩いてアジアからアメリカに渡って行きました。アラスカも氷に覆われていたので、却って足場がしっかりしていて、移動に好都合だったようです。
 ベーリング海峡を越えた人類が、南アメリカ南端のマゼラン海峡まで達するのに要した時間は、当時の人類の文明段階を考えると驚異的な短さだったようです。
 ともあれ、氷河期がなかったら、人類はコロンブスの新大陸発見まで、南北アメリカ大陸に一歩も足を踏み入れたことが無いままだったに違いありません。(そんなアメリカ大陸をちょっと見てみたかった気もしますがね)
 そんなわけで、氷河期というものは、嘗て私がイメージしていたような荒涼たる死の世界ではなく、まさにその正反対の、豊穣と発展のダイナミックな世界だったようです。
 地球の生物にとっては、むしろ「温暖化」の方が、よっぽど荒涼と死に近い世界なのでしょう。

                               

 
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