隠居のうんちく



 
                         見栄とご先祖

                               

 子供の頃、父方の祖母からよく聞かされたのは、祖母のそのまた祖父は、偉いお侍で、「関八州取締役」という、今で言えばさしずめ検事総長とでもいったようなお役目だった、ということでした。
 そこで私は、自分の祖母の祖父は幕末の、大名でないにしても少なくとも旗本くらいではあったろうと思い込んでいました。
 後年、祖母も父母もこの世から去った後、父の末弟が、我が家のルーツについて自分が知っていることをメモして送ってくれました。
 その中で、私の父たちの母方の祖父の役職を「関八州取締出役」と記してありました。
 そこで、これはどんな役かとちょっぴり調べてみました。そうしたら、これは関東一帯の無宿者、つまりやくざを取り締まる役でした。
 無宿者という人種は、文字通り旅から旅へとさすらいます。
 ところが江戸時代はご存知のように封建制度で、各藩がそれぞれ行政も司法も警察組織も個々に独立して持っていたので、藩の境を越えて犯人を追ったりは出来なかった。だから本来は、悪者が法を犯しても、さっさと藩の境を越えて脱出してしまうと、もう役人は手が出せない。
 これは、無宿者のように一所不住で常にさすらっている違法集団を取り締まるのにはまったく不便な制度でした。
 そこで、或る役人の一団にだけ、関八州に限り藩の境を自由に越えて、どこまでも犯人を追いかけてもいい、という特権をお上が与えました。
 それが「関八州取締出役(かんはっしゅうとりしまりでやく)」という役だったのです。
 例えばアメリカでも、州の境を犯人が越えると州警察は追いかけられない、という不便を解消するために、どの州の境も関係なく超えて犯人を追う特権をもつ「FBI」という特別の警察組織が作られています。さしづめ関八州取締出役は、日本でのFBIのミニチュア版、といたところでしょう。
 従って、その仕事は常に一人ないしせいぜい二〜三人で、草鞋履きで関東の村々町々を止め処なく巡り歩き、やくざに目を光らせている、という、かなりダークな、今で言えば「3K」に入るような現場仕事だったようです。
 これは、どう考えても「偉いお侍」の「検事総長」みたいな役だとは思えません。
 そう言えば、祖母は、自分の祖父の逸話として、死刑になった血まみれの若者が、ある夏の夜、蚊帳の外から祖父を覗き込み、祖父とその場にいた下男とがそれを目撃した、という怪談も聞かせてくれたことがあります。
 そのときは私は、さすが検事総長ともなると、人を死刑にして恨まれることもあったんだろうな、と納得したのでした。
 ところが、物の本によれば、関八州取締出役には、無宿者に限り、裁判抜きで斬り捨て御免で相手を処刑する権限が与えられていた、ということです。
 おそらく、化けて出た若者は、わがご先祖さまによって、問答無用、とばかりに手ずから斬殺された、無実の者かなにかだったのかも知れません。その恨みが凝って幽霊になったか、或いはご先祖さま自身の内心の負い目が妄想になって現れたか。
 いずれにせよ、あのご先祖様自慢は、見栄っ張りの祖母の、かなりあざとい脚色だったようですね。

                               

 
閉じる