隠居のうんちく



 
                         葬式とお坊様

                               

 今の我々は、お葬式にはお坊様が付き物だと決め込んでいます。(クリスチャンや神道信者以外はね)
 ところが、昔はお葬式とお坊様は縁もゆかりもないものだったらしい……いや、お葬式にお坊様が顔を出すなんて、とんでもないスキャンダルになりかねなかったもののようです。
 飛鳥時代から奈良時代や平安時代までは、仏教は国家護持、権力護持のためのイデオロギーで、お坊様は皆「官僧」つまり国家公務員でした。
 そして、お国のために働く(つまり祈る)時、身が穢れていてはお祈りの効果がなくなり、お国の役に立ちません。
 ところが死は最大の穢れであり、死体は穢れそのものです。
 公務員であるお坊様が死体の傍に寄ったり、いわんや触れたりしたら、穢れが身に移り、お国や権力者のために祈るとき効果がなくなります。
 そこで、当時はお坊様が葬式などに関係するのは、とんでもないタブーだったのです。
 当時は、庶民は死んでも葬式などしないで、京の都でも加茂の河原あたりに死体をブン投げておいたようです。
 ところが、鎌倉時代以降、お坊様の主体は「私僧」つまり遁世僧(お国に雇われていない)に移りました。
 私僧は、官僧のようにお国の定めた制約に縛られないで済みます。
 鎌倉時代以降は、庶民の間にも葬式の習慣が広まり始め、当時庶民の生活に密接な繋がりを持っていた「私僧」がその葬式に参加するようになり、こうして、お葬式にはお坊様、という今のような常識が定着していった、ということのようです。
 要するに、当時は、お坊様は庶民の生活全般に奉仕していて、その一部としてお葬式も手伝っていた、ということなのでしょう。
 今のように、お坊様はお葬式や法事しかやらず、「葬式仏教」などと呼ばれている有様を見たら、当時の「私僧」たちはどう思うでしょうね。

                               

 
閉じる