隠居のうんちく



 
                         雀と彼岸花

                               

 梅に鶯、牡丹に蝶、紅葉に鹿、萩に猪、竹林に虎、鯉の滝のぼり、なんて取り合わせは、どこかで見たことがあるでしょうが、雀と彼岸花の取り合わせにはどんな根拠があると思いますか?
 鳥と人間との関係を測る目安の一つに「飛び立ち距離」というものがあり、人間がどのくらい近づくと鳥が飛び立つか、が種類によってだいたい決っていて、燕などはこの距離が短いのですが、それに比べて雀は長いのだそうです。
 同じ鳥でも燕などは明らかに人間と共生し、人の家に巣を作ったりしますが、雀は決してそんなことはしません。
 雀は、むしろ害鳥として、鳴子で追っ払われたり、案山子で脅かされたりします。
 序でながら、案山子の語源は「嗅がし」で、古着を着せるのは人間に似せるためではなく、古着に染み付いた人間の匂いを嗅がせて脅すのが目的だそうです。
 それを見ても、古来、人間と雀との関係は、決して友好的だったわけではない。
 ところで、雀はどこにでもいるように見えますが、過疎の村などで、全員が離村して無人になると、その里からは雀も姿を消してしまうそうです。
 たとえば人里離れた一軒家には、雀は寄りつかない。或る程度家数がないとだめなようです。舌切り雀の絵本などでは、老夫婦の住まいが一軒家みたいに描かれていますが、あれは間違いのようです。
 雀は、影が形に添うように、常に人間の周囲につかず離れず生きてきた。人間にはさんざん邪魔にされながら、なぜか人間たちの傍にしか生息しない。
 雀の食性は雑食です。雑食の鳥は雀の他にもいくらでも居ます。それなのに、雀だけがこんなに人間と密接な関係を持っているのは、あながち食べ物のためばかりでもなさそうです。

 彼岸花は、その球根にアルカロイドが含まれ、有毒で食用にはなりません。
 いつぞや連れ合いに、庭の菜園からニラを取ってきて、と言われ、取ってきたら、これは彼岸花じゃないの、ヒトを毒殺する気? と怒られました。
 それまで、隠居は彼岸花の花は知っていたが、その葉っぱは知りませんでした。花の時は葉っぱが無く、葉っぱの時は花が無いので、双方が同じ植物とは思わなかったのです。
 その花は、まあ好き好きはあるだろうけれど、毒々しくて気味が悪いという人が多く、ちょうどお彼岸の頃に墓地の辺りによく咲くので、なんとなく不吉なイメージがあって、わざわざ庭へ植える人はあまり見かけない。
 意外にも彼岸花は繁殖の遅い種で、一メートル離れた場所に生え広がるのに十年もかかるそうです。
 その割には、いやに家の周りや道端などで、この花はよく見かけます。確かに目立つ花なので、実際より多く感じられるのかも知れませんが、それでも、十年で一メートルしか伝播しない割には随分広がっている。しかも人家の周りにばかり。
 実は、彼岸花は人の住んだことのない土地には生育していないのです。
 こう書けばもうお判りのように、彼岸花の繁殖には人間が関与しているのです。
 彼岸花は日本の在来種ではなく、渡来植物です。
 なぜ渡来したかといえば、それは人間が持ってきて植えたからです。
 なんのために植えたのかといえば、それは飢饉に備えて植えたのです。
 彼岸花は、球根を粉末にしてよく水に晒せば、アルカロイドは除かれて澱粉だけ残り、食用になるのです。
 ですから昔の村人は、飢饉の際の最後の食べ物として、常々家の周りに植えておいたのです。
 食べるのに手がかからないで、しかも美味しい植物は、飢饉になる前にさっさとみんな食べてしまうでしょう。飢饉の際の最後の食べ物は、手がかかってよっぽどのことがなければ食べる気になれないが、栄養はある、という植物でなければならない。
 彼岸花は、まさにそういう条件にピッタリ合った植物だったのですね。そんなところは、南の離島の飢饉の際の蘇鉄と同じ役割ですね。(つまり、小鳥にとってのピラカンサみたいなものでしょうか。)
 というわけで、雀と彼岸花の共通点は、一見人間となんの関係もなさそうで、実は人間が居ない所には生息しない、というところなのですね。
 ただそれだけのことなんですが……。

                               

 
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