隠居のうんちく



 
                         歩き方・女言葉・散歩・黙読

                               

 私たちは、自分が普段普通にやっている事は、日本人がずっと昔から延々とやり続けてきたことだと思いこみがちですが、実はごく最近から始まった風習だという場合が意外と多い、ということに、私はこれまた最近気付いた事が多いのです(変な言い回しですが)。

 この欄でも前にご紹介した「ナンバ歩き」なんかもそうですね。ちょっと復習しておくと、今私たちが普通にやっている「正しい」歩き方は、実は明治時代になって、ドイツの軍事教練とともに輸入された歩き方であって、古代から江戸時代、明治維新までの日本人の普通の歩き方は、右脚と右腕を同時に挙げ、左脚と左腕とを同時に挙げる「ナンバ歩き」だった、ということです。

 今私たちは、男言葉と女言葉とは別だ、という常識のもとに暮していますが、実は、(岩松研吉郎慶大教授によれば)女言葉は明治時代に初めて生まれたものであって、それ以前は男も女も言葉使いに差は無かったのだそうです。
 明治時代に発足した女学校教育の中で「ですわ」とか「ですのよ」、或いは「だわ」「なのよ」などという今では女性専用のしゃべり方が、初めて生まれたのです。
 たとえば往事の風俗を活写していると思われる江戸落語の長屋のおかみさんなんかの会話をみても、
「おまえさん……だよ。……じゃないかね」といった具合で、八っつぁんや熊さんの喋り方と差はないですよね。
 そんなしもじもの無学なやからは話が別だ、とおっしゃる向きは、時代小説に出てくる武士の家庭の会話をご参照下さい。
 確かにあるじとご内儀とは言葉使いが違うように見えますが、それは女性は丁寧語を使っているからであって、女言葉を使っているわけではありません。例えばあるじは召使いを「そち」と呼び、ご内儀は「そなた」と呼ぶ違いは、そなたが「女言葉」ではなく「丁寧語」だという違いでしょう。
 夫婦の会話での男女の違いも、当時の男尊女卑の価値観を反映して、夫は妻に対して目下に使う言葉を、妻は夫に対して目上に使う言葉を用いているので、違いがあるように見えますが、妻の使って居るのは「女言葉」ではなくて「敬語」なのです。
 というわけで、私たちがなんとなく大昔から違っていたように思っている男女の言葉使いの差も、実はごく最近からのことなのであって、その意味では、最近の女子高生たちの男っぽい言葉使いなどは、むしろ日本語本来の姿に立ち戻っているのかも知れませんね。

 ところで、休日の優雅な過ごし方、或いは安らかな老後の象徴または健康維持の必要として、「散歩」というものは今ごく普通に日常生活の中にとけ込んでいて、なんら特別のものではありませんが、ところがこれも、実は明治時代になって初めて生まれたものなのだそうです。
 明治時代の「書生さん」というのは、いわば時代の最先端をいく若きエリートでした。いまどきの大学生なんかとは格が違いました。その書生さんの間で新しく流行りだしたのが「散歩」だったのです。おそらくヨーロッパの哲学者や詩人の習慣が輸入されたものではないでしょうか。和服の着流しで洋書でも抱え、朴歯の下駄をカランコロンと鳴らしながら、林間を逍遙しつつ思索する、といったたたずまいが、当時、カッコイイ! と若者のナルシシズムにアピールし、女学生からも憧れの視線を浴びたのでしょう。
 なにしろ、江戸時代までは、用もないのに道をノロノロ歩いていたりするのは「野良犬の川端歩き」と呼ばれて顰蹙を買う行為だったのです。道というものは、目的地に向かって小走りに急ぐものだったのです。
 歌舞伎の名セリフの中でも、例えば「月は朧に白魚の……酔いに任せてうかうかと、浮かれ鴉の唯一羽、塒へ帰る川端の、そぞろ歩きの……」といったふうな風情は、ならずものの描写であって、とうてい堅気の人間のすることではありませんでした。
 かくて、散歩一つをとってみても、我が国では、その歴史はまことに新しいのですね。

 私たちは、本を読む時には黙って目で活字を追ってゆきます。そして、それが当たり前の読み方だと思っています。
 ところが、これがまた、当たり前になったのは、かなり最近のことらしいのです。
 わたしが子供のころには、まだ身の周りに、新聞を読む時には必ず声に出して節をつけて音読するお爺さん、というものが存在しました。さすがに当時でも、もうそれはちょっとユーモラスな光景に見えましたが、しかし明治維新まではむしろ、そっちの方が普通の読み方だったらしいのです。
 寺子屋での勉強には、例えば論語の素読、というものがあり、「シ、ノタマワク……」といった調子で、ひたすら声に出して読むのが勉強でした。
 だいたい、日本での詩は、和歌であれ、漢詩であれ、みんな声に出して朗詠するものでした。物語だってそうで、例えば源氏物語なども、平安時代にも、皇居のサロンで声のいい女房の一人が朗読するのを、中宮はじめ女官たちがみんなで聴いて楽しんだもののようです。江戸時代でも、馬琴の里見八犬伝なんかも、髪結い床かなんかで常連の一人が読み上げ、それにみんなで耳を傾けたのでしょう。
「黙読」という習慣は、これも明治の文明開化時代に、西洋文化と共に輸入された風習なのであって、当時は、黙読している人間は、かなり奇異に見えたに違いありません。なにを一人でムッツリ本と睨めっこしてるんだ、といったふうに。当時の大多数の日本人は、字を読む時には目と一緒に必ず口も動かしていたのです。
 もしかしたら、「黙読」という習慣の輸入は、日本の文学に決定的な変貌を強いたのかも知れません。それまでは文学は必ず「聴覚」を伴いました。明治以降、日本文学は初めて音から切り離され「視覚」だけのものになりました。これは、文学的にも、たいへんな質的変化なのかも知れません。

 といったように、私たちが(私だけかも知れませんが)ごく普通と思っている習慣の、けっこう多くが、実はたかだか明治以降の、最近始まったばかりの新しい習慣に過ぎないらしいのです。
 こういうことは「新しい」というより、「歴史が浅い」という表現のほうがいいような気がしますが……。
 そして、歴史が浅い、ということは、さほどたいした根拠の上には立っていない、何時又変わったり消え失せたりするかも判らない、不確かなものだということかも知れません。

                               

 
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