毎年十五夜(旧暦八月十五日)というのは、統計的に見ると、曇ったり雨だったりすることの方が多くて、お月見が出来る年の方が少ないのだそうです。考えてみれば、新暦九月の下旬といったら、毎年ちょうど台風のシーズンまっただ中ですし、それでなくても「秋雨前線」が停滞しがちな時期ですから、お月様の顔が拝めただけでもラッキー、と言うのは言い過ぎではないのです。
でもそんな年間気象事情は古代からそうだった筈ですよね。それなのに、なぜわざわざ古代以来ずっと台風シーズンにお月見をして来たのでしょう。
それは、この十五夜のお月見の風習は日本古来のものではないからです。つまりそれは古代中国の風習だったのです。それを、古代日本の「舶来かぶれの新し物好き」が、日本の気候風土も考えず、真似っこしたのが「十五夜のお月見」なんですね。それは日本では九世紀になってからやっと始まったのです。
お陰で、それ以来お月見の夜には晴天が少なくてなかなかお月様の顔が拝めないし、おまけに、庶民にとっては、まだ稲刈りにはちょっと早く、収穫祭を兼ねて豊作の祝杯を挙げるというには時期が半端です。せいぜい芋の収穫を祝うのに間に合う程度で、そこで十五夜を「芋名月」と呼ぶわけです。
八月十五夜などという、いわば明治以降でいえばクリスマスみたいな風習が外国から入って来る九世紀より前には、ちゃんと日本古来のお月見の儀礼がありました。それが「九月十三夜」なのです。
これは、新暦では十月下旬ですから、十五夜よりもずっと晴れる確率が高い。毎年この日は必ず晴れるとさえ言われています。体育の日だって十月に設けられているように、秋晴れの暑からず寒からず、最もお月見に適した季節です。秋の収穫も終わり、人々は心おきなくのんびりお月見を楽しめます。
この快適な「十三夜」のお月見が「十五夜」に地位を奪われたについては、どうやら「舶来信仰、新し物好き」だけではない、もっと深い歴史の暗部を覗かせる秘密もあるようなのです。
「原始、女性は太陽であった」とは、余りにも名高い、かのフェミニズムの嚆矢「青鞜」の第一声でしたが、残念ながららいてう女史は間違っておられた。
原始時代には、全世界の最高神は「月の女神」だったのです。
ところが、或る時代以降、月の女神はその地位を「太陽神」に奪われてしまいました。
最高神としての月、およびその没落についての伝説上、或いは歴史上の数々の痕跡については、別に機会があったら述べたいと思いますが、それはまさに、上古の「母系社会」が古代的「父系社会」へと転換したことと密接な繋がりがありました。
つまり母系社会の最高神が「月」であり、父系社会の最高神が「太陽」だったのです。
ところで、上古の最高神である月の女神の、最も重要なお祭りが「九月十三夜」だったのです。
太陽を最高神として奉ずる父系社会では、月の地位を貶める必要がありましたから、月の女神のお祭りである「十三夜」も抹殺したかった。そこで、中国の風習である「十五夜」を導入して「十三夜」に代えようとしたのです。中国では、月は男性ということになっていました。
ところが、現世の権力によって人を屈服させ、神の存在を否定しても、人の心の奥深くに秘められた古い信仰は抹殺しきることは出来ませんでした。
「十五夜」の陰で「十三夜」は生き存らえ続け、いつの頃からか「女名月」と呼ばれるようになり、また「片月見をするな」という言い伝えも生まれ、「十五夜」を祝ったら必ず「十三夜」も祝わねばならぬ、十五夜だけだと悪いことが起こる、と言われて来ました。つまり、新しい舶来の祭りだけやって古くからの女神の祭りを怠るな、という戒めなのでしょう。
また世界最古の小説と言われている「竹取物語」のかぐや姫は、実は古い最高神の月の女神の落ちぶれて縮んだ姿なのであって、落ちぶれはしても最後まで太陽神の子孫であるミカドには屈服しなかった、というレジスタンスの物語なのだそうです。
というわけで、来る十月には、今までとはひと味違った思いで「十三夜」を愛でようではありませんか。
(この項は坂田千鶴子さんの「消された月の女神」《{新日本文学二〇〇四年三月四月合併号掲載》のご紹介です。だいぶ隠居の曲解も混じっているかも知れません。おゆるし下さい。)
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