隠居のうんちく



 
                         ウンチクの巻き返し

                               

 隠居の家で取っている新聞の連載マンガに、しばしば「ウンチクオジサン」なるキャラクターが登場し、人々のヒンシュクを買っています。それを見る度に隠居はメゲて、ここにあれこれ書き込む意欲を殺がれてしまうのでした。ああ、隠居のやっていることはウンチクオジサンなのだ!
 こんな疑問やら不安やらが、雲のごとくわき上がり、このところ隠居の筆を……というか、キーボードを凍らせておりました。
 しかし、これは我ながらおかしい。
 そもそも、ご隠居学は、ウンチクの「なにが悪い!」と居直ったところからスタートした筈です。
 それを今更メゲていて、どうなる! と、隠居は、吾と我が身を叱咤するのでした。
 また、ウンチクオジサンと横丁のご隠居学との違いは、努力次第では、なんとか付けられるのではあるまいか。
 ご隠居学には「ウンチク」のほかに、もう一つの武器があります。それは「コジツケ」というものです。つまり「屁理屈」であります。
 こっちの方を磨き立て、振りかざせば、なんとかなるのではあるまいか。
 ところで、ウンチクとコジツケとの違いとは、具体的にはどんなことか?(……ここからは、もうすでにコジツケの領域に入っておりますけれども)例えば、ですね、その最もシンプルなケースを挙げてみますと……日本では子供に、お日様を描いてみなさい、と言えば、赤い丸を描きます。お月様を描いてみなさい、と言えば、黄色い丸を描きます。
 ところが、欧米の子供は、太陽を黄色く描き、月は白く描くそうです。(ポーランドでも、南アフリカでも、そうだ、ということを、知人から教えて戴きました。)
 まあ、ここまでは、(たいしたことはないが)ウンチクの一種でしょう。
 ご隠居学では、ここから更に先に進みます。
 では、何故そうなるのか? その違いはどうして生まれたのか?
 隠居は考えます。太陽が赤くみえるのは、いつか? それは日の出か、日の沈む時だ。月が黄色く見えるのも月の出か月の入りの時だ。
 太陽は、天高く昇ると、金色に輝き、月も天心にある時は白く見えます。
 つまり、日本では古来、太陽も月も、昇りたてや、沈む間際に、鑑賞すべきものだった。現に、和歌や俳句ではそのあたりを詠んだり吟じたりしたものが圧倒的に多いではないか。
 ところが外国では、太陽や月は、鑑賞するものではなく、照らすためにあるものだった。だから、いちばんちゃんと照らしているいちばん高い時に捉え描くことになる。
 こうして、それぞれの民族の天体の捉え方が、子供の描き方まで規定してしまっているのである。
 どんなもんです。まことしやかなもんでしょう。これこそは、コジツケ、ヘリクツの極意、ご隠居学の神髄です。
 しかし、まあ、よく言うよ。だんだん自己嫌悪が募ってきましたので、このへんでやめます。
 ともあれ、こんな調子でメゲず怯まず、再び隠居は立ち上がったのです。

                               

 
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