記
この日は、寒かったと覚えています。
その頃の参森さんは、少し前に愛妻を病で亡くされて、自分の半身を引きちぎられたようになっていて、さみしく寒そうにしていらっしゃいました。たくさんお酒を飲んで、少ししか食べませんでした。
参森さんは気むずかしい人でした。自分の決めた道を曲げることを嫌いました。曲げざるを得ないとき、とても傷つきました。そうやって長い時間を生きてこられたのだと思います。しかし、いつも寄り添い、明るく、はつらつと前向きに生きていらしたお連れ合いを失ったことが、参森さんの心をくじかせたように見えました。参森さんが辻に立って、空を見上げていたよと聞きました。もう、たくさんお酒も飲めなくなっていました。
「参森さん連句しましようよ。リハビリ連句! みんな疲れているし、元気つけましようよ。みんなでハグハグしましようよ」
そうお誘いして、リハビリしたい人が集まり、西北さんのお宅で歌仙を巻きました。あまり長い時間はしんどいので、がんばってぎゅっと巻きました。
私と参森さんの二人は煙草吸いなので、何回か庭に出て、ぼそぼそ話したり、だんだんと日が暮れてくる庭を眺めたりして、たまに手を繋いでみたりしました。
参森さんとの出会いは、何年も前になります。連句を始めたいという私たちに連句の楽しみを教えてくださり、それは厳しかったり、優しかったりでしたが、いつも西北さんの隣に寄り添っていらっして、二人はナイスコンビで、片方が厳しいときは、もうお一人はフォローをしてくださり、誰も悲しい思いをしたり、困ったりしないで、楽しい時間を共有できました。
私たちにとっての参森さんは、連句の師であり、仲間でありましたから、この連句会がとても大切なものだと思えました。挙句は参森さんに作っていただきました。
春眼とじこの日を終る
というものでした。参森さんはあまり気に入らなかったのかも知れません。この挙句に少し時間をかけました。どこかあきらめたように、「これでいいか」と言いました。私たちは、そのあと、みんなでハグを繰り返し、解散しました。
「あれは、たのしかったあ」
参森さんはその後もこの時のことを覚えていてくれました。
私たちもそれぞれ忙しく、疲れすぎたりして、集まって連句をしようという元気もなく、日々を過ごしました。今思い返すと、なんと一年以上も。
この春、参森さんが亡くなりました。私たちにとっても参森さんと巻く最後の歌仙となったのです。
参森さんにとってもそうでありました。この後、俳句も作っていらっしゃらないと思います。
あまりにプライベートな歌仙なので、ホームページに掲載することをしませんでした。しかし、今回、参森さんと連句を楽しんだ方々とともに「参森追悼連句」をしようということになり、無事に巻き上げましたので、それをご紹介する前に、私たちと参森さんの最後の宝物となった歌仙「たわわの巻」を、ここにご紹介します。
おもしろいのは、途中で、本当にここにぴったりという句を、当日体調不良で参加できなかった小城薄さんが、メールで送ってこられたことです。とても印象深いことでした。
「参森追悼連句会」で巻き上げました歌仙「夏の川」巻も、掲載しますので、どうぞ、参森さんを知らない方も、偲んでいただけたらと思うのです。