『シジフォスの勲章』周辺
                       亀井 昭


 一九七二年宮原昭夫は『誰かが触った』で芥川賞を受賞した。
「偏見に晒され、社会から隔離された療養所に思春期を迎える少年
少女らの愛と喜びを」そして、そこに心ならずも赴任してきた、
加納妙子と画家志望の馬場、二人の療養所内で繰り広げられる日々
の生活、不満、不安、葛藤、少年少女、職員、医師、父母、とかか
わる日常の事件、生活を通じて、二人の内面と、ハンセン病の社会
的な問題が解き明かされていく。               

「もともとらい病の完全隔離がわが国で完成したのは皇紀二千六百年、
昭和十五年ですよ。つまり神国日本の民族の血の純血をまもれって
わけで……」「ナチのユダヤ人ゲットーと同じだったんです、閉じ
込めて根絶やしにする、」「いまだにそれが医学の常識も人権も押
しつぶして居座っているんだ、世間の偏見を後ろ盾にしてね。」と
補助教員北見に告発させている。この『誰かが触った』を江藤淳は
「触れ合いを求めている、人間本性の問題である。これは平凡な真
理のようであるが、文学的には近頃新鮮な発見であり、横行してい
る自閉症的なつまらない小説に天窓を開き、外の風を導きいれるに
足る、さわやかな認識だと思われる」と論評している。     

この『誰かが触った』で宮原が「ナチのユダヤ人ゲットーの思想、
進歩のための淘汰の思想」を告発し「触れ合い」を求めるのが人間
の本性である、と物語ってから三十年、らい病の隔離が歴史の間違
いである、と政府が謝罪し、補償することを決めたのはつい最近の
ことである。                        
一九七七年刊行の「広間と密室」収録『トマトと太陽』で宮原は
「私どもの周囲の日常性というものは、ぐにやぐにやに溶解していて、
なかば液状化している、そのままでは小説という建築物の建材にな
りにくい」「その日常性を枠に流し込む、ところが、傍目には、中
の生コンよりも外の枠のほうが先に目に付くものだから、その作品
全体が、夢や、イソップ物語りに見えてしまう」と、作品の理解が
その枠の模様、物語り性だけを追いがちなのは読者の問題でもある。
と言っている、物語の底流にある作者の主張、鉄筋が見えにくいのだ。
「そこで私は日常性をある容器の中に密封する。すると化学反応を起
こして動き始める。」容器とは『誰かが触った』では思春期を迎える
少年少女たちを隔離した療養所であり、そこでの日常生活、職員や
父母の心情と小さな事件や職場の人間関係を通じての妙子や馬場の
「触れ合いを求めるのが人間の本性」の目覚めと自我欲との葛藤が
描かれていて、自我を乗り越えようと苦闘する姿が描かれている、
このことを江藤淳は「自閉症的」なつまらない小説・評論・芸術作品
があふれている今日「さわやかな認識」と論評した。       
江藤淳は『妻と私』を遺し逝ってしまった。 珠玉のごとき「触れ合
い」が悲しいまでに描かれていた、江藤淳のような文学者、評論家
が何の希望も持てず憤死する、ごとき、まさに「自閉症的」な文学
風潮が、今あるのだ。                    

  一九八六年 宮原は『女たちの祭り』で「反自閉」とも言うべき、
市民運動によって一人の女性市会議員を誕生させるまでの物語を書
いている。その中で主人公ほなみは「世の中には四つの民主主義が
あると思います。                      
第一は四年に一回選挙で票を投じてあとは一切お任せする「お任せ
民主主義」                         
第二はお役所や議員さんにお願いにいって自分の望みを代わりにや
ってもらう「お願い民主主義」                
三番目は民主主義的な行政の実現の為に市民がお手伝いする「お手
伝い民主主義」、です。しかし今本当に必要なのは、      
第四の民主主義つまり行政に手伝わせる民主主義ではないでしょうか。
反戦運動家、環境問題、命と暮らしを考える会、又元暴走族のナナ
ハンを乗り回すイキのいい女性、街頭舞踏家などそれぞれの個性が
有機的に絡み合って市民運動は選挙運動として進められて当選を勝
ち取ることで大団円を迎える。                
これは北朝鮮による拉致被害にあわれた「家族の会」の市民運動の
進め方と似ている、「女たちの祭り」の母体である「イノクラ」
「命と暮らしを守る会」も拉致被害者家族会も「命も暮らしも守っ
てくれない国とは何であるのかを考える会」にならざるをえなかった。
それぞれの家族や個人が、「運命」のせいにしたり「地獄は今ここに
ある、それを生きる覚悟をすべき……」という五木寛之の言により
「自閉」していたら、なんの解決の糸口にもたどり着かなかったのだ。
 二00二年『シジフォスの勲章』は前作『女たちの祭り』の市民
運動の視点から書いている「市民が皆のために必要だと思うことを手
弁当でやり始めてしまうんです、そんな自分たちの活動をお役所に手
伝わせるんです」                       
 臼井きよのの転倒の場面から始まり「伸ちゃんが死んじゃう」と彼
女は情念にも似た妄執で動けなくなった自らの身体を動かす「辺りを
手探りしてみる、何かが手に触れる、つややかな感触で、いま足を踏
み外した拍子に放り出した笊からぶちまけられた茄子の一つだと知れ
る。」「自分が動けなくなったら、水さえ飲ませてもらえず、糞尿に
まみれて息絶えるだろう」「伸ちゃんが死んじゃう」「きよのは又さ
っきと同じように、ほんの一センチずつ這い進んで行く、それにつれ
て床の上には、尿にまみれたワンピースの裾がナメクジの這い跡のよ
うに濡れた跡を曳いてゆく」……「伸ちゃん待ってな、ばあちゃんが
いってやるからね、そこに行ってやるからね、なんとしてでも行って
やるから……」ただならぬ展開で始まり、伸ちゃんは、きよのは、ど
うなるのだろう、と読者をひきつける。             

  一方、きよのの転倒と並行して、障害児を育てている母親の会が障害
児のための通所施設の借地の契約更新問題をかかえ、隠居所として建
てられた和風の八畳を開放して、石鹸を化粧紙で包む作業を続けなが
らおしゃべりを楽しんでいる。リーダーの槙子、子の彗、由香利、子
供の彩、京、子供の淳二が居る。その前を定期便のように毎日通うだ
けだった、団翔一郎と名乗る男の「すいません」「ぶしつけですけど……」
の訪問で彼女たちや障害児等の問題が顕在化されていく。槇子達のグ
ループが催した講演会を話題にしている、 「障害児は人類が進歩す
るために神様がお与えになった教材だ、って。進歩するためにみに身
に付けなけばいけない、ひとへの思いやりや、人と一緒に生きていく
心を、磨くチャンスをあたえてくれるんだ、って」「そう……重荷っ
てものは、時には信念と同じ働きをするのかもしれないわ」    

団「僕も、その通りだと思いますよ。それは、正しくって、美しい言
葉ですよ。でも……どうして毎回、毎回繰り返されるんですか?……
殺しても殺しても生き返る問いそれはね、この子たちが生きているこ
とに、どんな意味があるんだろうか、って問いですよ」      
佳奈「あなた解っているの?……あなたにそんなこと言う権利、ある
んですか」                          
団「あるんじゃないのかな、ぼくには……ALS……」団は自慢げな
口調で言い、                         
槇子「彗のは筋肉で、この方のは神経なんだけど、症状や経過は似て
いるのね……おっしゃる通りよ。……心の中でいつもそんな問答をく
りかえしているわ」                      
京「ここまでたどり着くのに三十年かかったんですよ、こうして子供
たちにも生きる権利も学ぶ権利もあるつって、世の中に認めさせるの
に……先輩たちが永年ガンバって……」             
槙子「それじゃ、五体満足な私が生きているのに、どういう意味があ
るだろう、どういうふうに生きるのが意味があって、とにかく自分が
生きているのに、どんな意味があるのかってことに答えられない限り、
この子たちや、あなたが生きているのにどんな意味があるのかってこ
とにも答えられないじゃないのかなァ、って思うんですョ。」   
「伸ちゃんが死んじゃう」きよのは再び激しく思い募っている。  
……娘じゃあるまいし、失禁がなんだというのだ、奥の部屋で、声を
立てることも知らず、自分に何が起こったのかもわからないまま、や
がて息絶えねばならない伸ちゃん。               
団「昔は障害者の平均寿命は二十歳ほどだったのに最近は四十歳以上
になっているそうですね、親は昔の倍も面倒をみなければならないし、
世間さまも倍の税金を使わなければならない。」団は槇子の夫、宏之
に殴られ鼻血をながしながら、                 
団「僕は確信を持ちたいだけなんですよ、それにちゃんとした意義が
あるだって、コジツケじゃなくて……神様や仏様なんか……引き合い
にださずに……」                       
佳奈「どんな人の命だって、できるだけのことをして護っていかなけ
ればならない・・あたりまえのことじゃないんですか。」     
団「それは正論さ……本音ってのは、なぜ役立たずが生きているんだ、
なぜみんなに苦労かけて税金無駄づかいして生きているんだ、自分た
ちは毎日汗水たらして働いてやっと生きているのに、おまえたちはこ
っちが納めた税金で毎日寝て暮らしているじゃないか、ってことさ。」
宏之「誰かが生きるべきかどうかなんて決める権利のある者が、この
世に存在するかね。」                     
団「決める権利があるのは当人だけです。」           
フサエ「家族は、親がわが子に生きていて欲しい思う権利もないって
おっしゃるの?」                       
団「親にだってないですよ……淘汰すべきかって決定権は、淘汰され
る側にだけあるんだ。親だって淘汰する側でしょう?」      
フサエ 「それじゃ、親が淘汰したがっているみたいに聞こえますよ。」
団「あなたたちは臆病なだけじゃないんですか、わが子に奪われた自
分の可能性を考えるのが怖くて、自分自身の声から逃げているだけじ
ゃないの?」                         
佳奈「団さん取り消してください……」             
槙子「いいのよ……わが子が死んでくれたらって一度も思ったことの
ない親なんて、一人も居ないんじゃないかしら……」       
東海林医師「のどの渇いていない人が飲み水を誰かに譲るのはなんで
もないけど、カラカラに渇いた人が譲るのは高潔だよ。障害者を育て
るのがなんでもないんだったら、べつに立派じゃないでしょ。いろん
な思いしながら負い続けているからこそ、立派なんじゃないか。」 
 槇子たちの再三の誘いにも、きよのは「どこに居ても、何をしたっ
て同じですから」「うちの子には生まれつき脳が半分しかないんです
から」「見世物じゃありませんから。」
槙子「お孫さんだって、外の世界に触れて、お友達にあって、いろん
な体験がしたいでしょ。せっかくこの世に生まれてきたのですから」
きよの「身内からもきつくいわれているんです、家の恥を人目に晒す
なって。若いもんの縁談にもひびくから」とかたくなに閉じこもる。
病室のなか意識がないまま「伸ちゃんが死んじゃう」伸ちゃんは死ん
でしまったのだ。                       
きよのとはどのような存在なのか宮原の文を追ってみよう、きよのは
息子夫妻に「伸ちゃん」を押し付けられた、七十歳以上に見える若い
頃は美人だったようすだが今は黄色く萎んで、すっきり通った鼻筋が
長すぎるように見える、二年前夫が心臓發作で死んでから、「伸ちゃ
ん」と二人、身内の情けによって生計を立てている。「伸ちゃん」の
ようなものが生まれたのは、嫁の血筋だと思い込み、嫁にもそれらし
い嫌みをいったので、息子と嫁はこの家を出て行った。きよのは土地
者で以前は農業を営んでいたのかもしれない、地元に一族の者がいて
「伸ちゃん」を人目に晒さない事を条件に経済援助をしている。一族
意識、コネ社会、問題が起こると土地の有力者が、政治家に相談し、
就職、結婚、商売上のトラブル、あらゆることを解決して来たのであり、
その裏にはドロドロした非人間的な、四の五の言わさぬ前近代的な、
非合理が存在し、「伸ちゃん」も少し前なら座敷牢にいれられ、「一
族の恥」は表沙汰にならなかった。障害者とその家族が、少し前まで
どのように差別されてきたのか、きよのと「伸ちゃん」の関係の中に、
どうにもならない問題解決不能な関係、前近代的「自閉」が描かれている。
その後槙子は東海林医師からもらった医学雑誌のコピーを読んで彗と
向き合う。                          
槇子「もちろんカナなら読めるよね……いいイエスだったら、瞬き一つ、
ノーだったら二つ、わからなかったら三つ」
プラスチックの細棒を取り上げる。まず「あ」行から順に指して行きな
がら槇子は彗の目元を見守っている。「そ」を指したとき彗の目が閉じ
「そのとき」と指す「きかいを」「はずしてください」       
槇子「あかあさんのためだけでいいから……出来るだけ長く……居てく
れるっていうのも」 彗は目だけ動かして、五十音ボードを見る「わる
いけど」、槇子は深々とため息をつく。             
団は「ALS・筋萎縮性側索硬化症」ではない、と医師に告知され、
MSBPではないかと診断され、兄の車の中でガス自殺をはかり、救
急車で病院に担ぎ込まれる、それを聞いて、佳奈「私ってサイテイ。
私って自分の口惜しさしか考えてなかった。彼の苦しさなんか、考え
てもみなかったわ、ほんとに最低」               
槇子は佳奈の自己憐憫に浸るのを見て、団とおなじ「自閉」した自己
を持て余しているだけの人なのかもしれないと思う。       
槇子「佳奈さん、さんざんお世話になった私が言うのは恩知らずなんだ
けれども、もしかしたらあなた、普通の人たちとお付き合いするのに臆
病になってられるんじゃない?大切な人が不意に去ってしまって、その
わけがどうしても自分には思い当たらない……いつ又同じことがって、
怖くなって深いお付き合いが出来なくなってしまう、その点私たちって、
あなたから逃げていく心配ないからね。私このまま佳奈さんを私たちに
縛り付けとくのが、なんだかこわいのよ」             
槇子の組織者、市民活動家としての佳奈への訣別の言葉なのだ。  
槇子「彩ちゃん、おねがい、出来るだけ生きて、出来るだけ幸せになって
ね、皆の分までね、おばさん、そのためだったら、どんなことだってやる
から、だから、おねがい。」                    
ここで、この文は結ばれている。槇子のこの言葉に嘘はないのだ、荷っ
ている運動の中からしか光が見えてこない、真実が見えてこないことを
運動者は知っているからだ。                   
彗はどうなるのか、きよのは、そして団の執拗なまでの問い「人間はど
うして生きなければならないのか?」の抽象化された設問にも作者は答
えていない。しかし、『女たちの祭り』戯曲、巻尾で宮原は、「ここに
登場する女性たちが対決している真の敵は、実は彼女たちの心の中にあ
るのではないでしょうか。それは、物質的にもっと豊かで、肉体的にも
っと快適な暮らしがしたい、と言う自分たちの飽くことを知らぬ欲望です。
それは生き身の人間として当然の健康な欲望です……しかしそれが自分
たちの心身を縛り、奴隷的な働きバチにし、資源を無駄使いし、地球を
巨大なゴミ溜めにして、環境を破壊し、発展地上国を搾取し、しかも競
争社会の中で人々を孤立化させ、心の中に埋めようのない空洞を広げてゆく、
と悟ったとき、それは彼女たちの心の敵になったのです」      
『女たちの祭り』から八年「地球環境問題」が世界的テーマとなり人々は
この世界がガラガラと崩れかけている、と、感じている。NGO、NPO
などもう一つの価値を求めて、世界中の人々が動き出している。    
二〇〇二年十一月二十三日、朝日新聞一面に、知的障害者「脱施設へ」
「生活の足場地域に」                      
宮城県福祉事業団は知的障害者の入所施設の解体宣言をする、入所者四八
五人を一〇年までに、地域のグループホームなどに移行させる、地域移行
については職員や親の会と話し合っている。現在一00人が施設に籍を置
いたまま、県内約二0箇所の住宅で生活している。この宮城県の脱施設の
方向は世界的な潮流なのだ。この文脈でも、作者は、地方紙記者、丸山に
「入所施設ではいけないんですか?」と言わせている。        
京「たしかに親や家族は楽ですよ……あちこちの入所施設なんか見学するで
しょ……壁に配電盤みたいなのがあって、ベッドの数だけ豆電球が並んでいて、
誰かのオムツが濡れると、ベッドの番号ランプが点くのよ。」      
フサエ「体調が良くなると、かえってあんまり構ってもらえなくなっちやう
んですね、そういう時こそ、触れ合いのチャンスなのに。」       
槇子「私たちが望んでいるのは、我が子がベッドで大事にされることじゃな
くて、生きてるって感じさせてもらうことなんです、イノチを大事にするこ
とと、生きるを大事にするのって違うんじゃないかしら」        
槇子は彗の植物状態になってしまった生命の電源を約束どうりに切ることが
出来るか?の問いが残る。                     
団の問題は、団自身変わらなければ、どのような理論をもってしても団は
納得しないだろう、団の問いかけそのものが、形式理論なのであり(解決出
来ないことを設定した上での設問)「私は確信を持ちたいだけ」と言いつつ、
他方では「生きていることに意味がない」と言う。「生きていることに確信
を持ちたい。」と言う。どうどうめぐり、「自閉」の罠があり、槇子たちの
運動とは対照的な「競争社会のなかで人々を孤立させ、心の中に埋めようの
ない空洞を広げている」「自閉」の論理なのであり、諸先生方の好きな、自
己主張のための論理なのだ。宮原はこのような先生方を団に代表させてMS
BP「大ほら吹き症候群」として切り捨てたのは痛快の極みであった。  
  槇子は電源を切るだろうか?「イノチよりも、生きるを大事に考えている」
「いちばん、マトモなのはそちらのおっかさん」のオッカサンの一人なのだ
から電源を切るのはためらわないが……自分たちの運動全体の発展や展望を
考えると、これ以上のゴタゴタや裁判ザタ、運動を困難にする要素などを考
えて、彗には、ガマンしてもらうことになるのだと思う。自分の野心のため
妻と子を捨てた小川の自堕落な生活や、真夜中に牛刀を持ち、おとこの枕辺
にたたずむ女、人間とはなんと不思議な生き物、なのだろうと感じさせる。
「競争社会の中で人々を孤立させ心の中に埋めようのない空洞を広げている」
社会に住んでいる人間のそれぞれの事情によって変形した生が描かれている。
「引きこもったり」「自閉」したり「ジコチュウ」になるのではなく、自分
たちの問題を確認しあいながら運動で超えて行く、理論や理屈は運動の成果
として、後から組織的に感性を伴って付いてくるのかもしれない。    
『シジフォスの勲章』は「反自閉」「反ジコチュウ」近代自我の超克の物語で
あり、宮原の先見性に裏打ちされた人間の生き方を問う今日的なテーマがタイ
ムリーに展開されているのだ。出口の見えない大不況、税金で大銀行が救われ、
救ったタックスペイヤーがひどいめにあっている、本当は大銀行はタックスペ
イヤーの物なのにその論理が展開できない。殆ど利子が無いこの国は社会主義
的なのに国民(タックスペイヤー)は勘違いしているのではないだろうか? 
             おわり


 宮原昭夫『シジフォスの勲章』をめぐる断想
                       河村政敏


 人間生きなければならないのか。生きる条件とは何だろう。宮原
のこの小説は、そうした古くて新しい、そして永遠に解決のつきそ
うもない問題を、あらためて私たちに突きつけている。
 冒頭の「台所の上がり柩から足を踏み外して下の床へ倒れ込んで
行く間の、ほんの瞬きするほどの時間に、人間というものはなんと
たくさんのことが考えられるものか。」という書き出しはショッキ
ングで、いきなり読者に、意識の深淵を覗き込ませるような効果が
ある。おそらく読者の誰もが、稲妻の真の暗がりにひそむ得体の知
れない何ものかをうかがうような、一種不安な情緒に襲われること
だろう。これによって読者は、以下に展開される極限的な状況に、
ある期待をもってみずから参加してゆくことが出来るというわけで
ある。
 床にたたきつけられた老女のきよのは、腰と腕とを骨折し、息も
つけない激痛に耐えながら「伸ちゃんが死んじゃう」と、声になら
ない声で呟きつづける。伸ちゃん──息子夫婦が置き去りにした孫
で、何年経っても寝返りも出来ず、意識があるのかないのか、「生
まれつき、脳が半分しかないんですから」と嘆かせる重度の障害児
である。きよのは今その面倒を一人で見ている。自分が動けなくな
れば、糞尿にまみれて息絶えるであろう孫、だが「たすけて」の声
さえ出ない。少しでも這おうと指先を伸ばしても全身に激痛が走り、
そのつど突っ伏してしまう。
 どのくらい経ったのだろう。もだえ疲れて転がっていた彼女は、
何もかもが「急にたまらなく億劫になってしまった」。
   連れ合いの死以来、人の訪れもますます減ってゆくなかで、
 以前と同様、限りなく繰り返されてきた同じ日々……流動食を
作り、伸ちゃんの口に流し込み、おむつを取り換え、体を拭い
てやり……加齢でカが衰えるにつれてますます重荷になってき
た、同じ作業を、これから先も絶えることなく、どのくらい続
けてゆかなければならないのだろう。
彼女は表を通り過ぎる足音に「たすけて」と聞こえもしない声で
呟きながら、そうした「いままでと同じ日々に舞い戻ることが、ど
うして助けられることになるのだ」「もうこのままここにずうっと
……永久に横たわっていたい」と、一瞬、睡魔にでも襲われたよう
に願ったものだった。だがそれは、
 だいぶ前からほかのことをなにも考えられないほど彼女をさ
いなみ続け、歯を食いしばって堪え続けていた尿意が、ついに
限界を越え、失禁して一気に解放され、下半身を生暖かく濡ら
す新鮮な尿の臭いに包まれて、気の遠くなるような自堕落な安
らぎに身を任せていた折りだったせいかも知れない
ということだが、このあたりは生理感が実存の深みで響き合ってい
るようで、カフカやカミュの作品のある部分を感じさせる。宮原の
世代なら、その文学的出発当時、彼等の存在を避けて通ることは出
来なかったはずだ。そして青年時代に経験した本物の出会いという
ものは、年月とともに感性の底に沈み込んでゆくものらしい。実は
この小説そのものが、言ってしまえば、人間存在の不条理を追求し
たものである。

 このきよのの災難と同時進行的に、やはり重度の障害児をかかえ
る母親たちが、障害児たちの通所施設をつくる資金集めのため、リ
ーダー格の槇子の家の隠居所に集まり、石鹸の包装をしながら無駄
話に余念がない。「寝たっきりで指一本まともに動かせない」槇子
の子の慧、由香利の子の彩、京の子の淳二が床に転がされている。
 ところが彼女らの姿の、何と屈託なく明るいことか。みじめさな
ど微塵もない。障害児をかかえていることに何の疑いもなく、悟り
澄ましたような世界である。彼女らは、ある障害児施設の女の所長
が語ったという、
「障害児は人類が進歩するために神様がお与えになった教材だ。」
「進歩するために身につけなければいけない、ひとへの思いや
りや、ひとと一緒に生きていく心を、磨くチャンスを与えてく
れるんだ。」「この子たちは、親の人生の教師だ。」「なにが
人生でいちばん大事かってことがこの子たちのおかげで学べる
んだ。」
などの言葉に涙して感動し、信じきっている。年若い京など、「神
様は、苦労する値打ちのある人間を選んで苦労をお与えになるんで
すって」と、むしろ誇りかに言う。彼女らは、それらの言葉の裏に
ひそんでいるすさまじい残酷さ、その欺瞞性、偽善性に気づかない。
気づきそうになると、あわてて意識からふり落とすのだろう。そう
でなければ生きていけないのだ。
 とにかく彼女らはみな善人である。彼女らだけでない。ボランテ
ィアの大学生佳奈も、後から登場する槇子の夫宏之も、フサエも、
谷夫婦も、登場人物はみな善人ばかりである。驚くほど楽天的なヒ
ューマニストばかりである。よくもまあ集めたものだと思われるほ
ど。
 だが、この作家宮原は、そんなきれいごとに感動するほど甘くな
い。含羞が許さないのだ。含羞──。『シジフォスの勲章』という
 題名からして、宮原の師匠筋に当たる太宰治の『バンドラの匣』や、
宮原が若いころ読んだであろうカミュの 『シジフォスの神話』な
どにヒントを得ているであろうことを知るだけでもいい。
 そこで作者は、登場人物すべてを、容貌や体形、服装などで類型
化し、多少のユーモアを加えて場面を設定する。名前までいかにも
もっともらしく名づけられ、思慮ぶかいインテリ型の槇子、おっと
りした由香利、小柄で勝気な京、それに頭脳だけは明瞭な慧、人形
のような彩という具合である。
   由香利は色白でふくよかな体つきだが、上背があるのでさし
て太っては見えない。丸顔で目尻が下がり、黒目勝ちの目と目
の間が離れている。ちょっと上を向いた鼻も程の良い高さで、
形はいいが大きな口をゆったり動かして身体に似合わぬかわい
いソプラノでおっとりとものを言う。京の方は痩せて小柄で、
色が浅黒いのでなおさら痩せて見える。身のこなしも物言いも
神経質できびきびしていて、ハスキーな声でいつも忙しそうに
喋るので、知らない人には怒ってでもいるように聞こえるとき
がある。小さなかっちりした瓜実顔が、その肌色と相俟って、
椎の実のように見える。細く切れ長な目、真っ直ぐ通った鼻筋、
薄い唇が、造作の全体を直線的な感じに見せている。
 これは戯曲ならト書に当たろうか。これによって、それぞれの人
物が、それぞれの役割を勝手に果たしてゆくことになる。みな信念
を持って生きているから、芝居の舞台のようなもので、せりふを間
違えるようなことは決してない。作者は演出家のように、素知らぬ
顔をして観客席に紛れて眺めていればよい。
 ついでながら言うと、表現の遊びはまことにお手のもので、例え
ば、床にたたきつけられて恐怖におののくきよのが、やっと伸ばし
た指先にふれた「艶やかな感触」が、いま笊からぶちまけられた茄
子の一つだと知れるなどというあたりは、ふっと笑いに誘いながら
絶望感を生理化し、あるいは、赤子のような小さな身体に「紛れも
ない大人の頭部」をつけた彩の姿を、「美しい瓜実顔の娘の頭部だ
けがそこに転がされているように見える。笑うと、その整った目鼻
立ちが、いっきに粘土の額を押しつぶしたようになる」とむしろ滑
稽化し、その無残さを逆に読者の心に植えつける。通人の遊びと言
ってもよいかも知れない。
 このように、どこかとぼけたような諧謔味を至るところに漂わせ
ているが、これは連句を楽しむ宮原の持味と言ってもよいもので、
それがこの作品の場合は、描かれている極限的な状況を和らげ、軽
い読物を読むような効果をあげている。

 とにかくこうして作者は、注意ぶかく姿を消し、心の底に流れる
影の声として自称ALS(作者注、筋萎縮性側索硬化症。原因不明。
進行性。)の団翔一郎を登場させ、舞台まわしのピエロ役を演じさ
せる。
 団は、作業所を覗き見しながら通り過ぎる「定期便」というユー
モラスな噂のなかに、「ごめんください。……あのォ……」と何と
も無様な恰好で登場し、誰にともなくしきりに頭を下げていたが、
──これはピエロオ登場のーつの型だが、槇子らが感動する「障害
児は神の与えた教材だ」「親の人生の教師だ」という御託宣を聞く
と忽ちこれを逆手にとり、
「ぼくも、その通りだと思いますよ。それは、正しくって、美
しい言葉ですよ。でも……」「そんな言葉が、どうして毎回、
毎回、繰り返されるんですか?正しい答えなら、一度出ればい
いじゃありませんか。」「ぼくは思うんですよ、答えの数だけ
問いがある、って。毎日、同じ問いが生まれるから、毎日同じ
答えが必要になるんでしょう。」「殺しても殺しても生き返る
問い……それはね、」
と啖呵を切るようにたたみかけ、
「この子たちが生きていることにどんな意味があるんだろう、
っていう問いですよ」
と、誰もが意識下にひそめている、そして決して口にすることのな
いタブーの疑問を、真正面から突きつける。
 このあたりは古典劇を見るような呼吸であって、心憎いばかりの
メリハリがあり、今どきこんな正統的な表現力を持った作家がいた
のかと、あらためて感心させられる。
 団のこの挑発に対して、お跳ねの京は、「ここまでたどり着くの
に、三十年かかったんですよ……こうした子供たちにも生きる権利
も学ぶ権利もある、って世のなかに認めさせるのに。……先輩たち
が永年頑張って、そうして私たちも頑張って、やっと……それをあ
なたは、また振出しに戻そうっていうんですか?」と噛みつき、槇
子はさすがに慎重に、「とにかく、自分が生きてるのにどんな意味
があるのか、ってことに答えられない限り、この子たちやあなたが
生きてるのにどんな意味があるのか、ってことにも答えられないん
じゃないのかなァ、って思うんですよ」と自問のように答える。
 しかしどちらにしても、心情的な思い込みであることに変わりな
い。京の場合は本人の気づかない問題のすり替えであり、槇子の場
合は意味深長に聞こえながら何を言ってることにもならない。強い
て解釈すれば、普通人の生きる意味も、身動きならず鼻から流動食
を流し込まれて生きている慧らと本質的に変わらないということだ
ろうし、とすれば人生というものは、「朝だ、起きて今日も虚妄の
生を営め」というただそれだけの、救いようのないニヒリズムに陥
るほかないだろう。感激屋の佳奈が思わず声をあげる「メタフィジ
ック」なんぞというものじゃない。彼女らには、自分と世界とをつ
なぐ論理の蝶番が脱落しているのである。
 とにかくこうして、床に倒れ伏しているきよのの悲劇と、槇子た
ちの確信に満ちたにぎやかな作業所風景とが、同時進行的に展開さ
れる。この手法は戦後の一時代、若い世代の心をとらえていた実存
主義の作家たちがよく用いたものであって、この場合は陰画と陽画
の関係にある。
但し、理屈を言うと、
 きよのはまたさっきと同じように、ほんの一センチずつ這い
進んで行く。それにつれて床の上には、尿にまみれたワンピー
スの裾が、ちょうどナメクジの這い跡のように濡れた跡を曳い
てゆく。……伸ちゃん、待ってな、ばあちゃんが行ってやるか
らね、そこへ行ってやるからね、なんとしてでも行ってやるか
ら……
という、この人間の臭味に満ちてる世界が陽画であって、情念の幽
暗部をかき消し、ヒューマニズムという薄桃色のフィルターをかけ
られた槇子たちの世界の方が陰画なのである。

 陰画──そうはいうものの、槇子らがそうした心境に達するまで
には、それぞれに長い長い道程があった。なぜ、自分の子だけがこ
んな目に合わねばならないのか。慧の場合は言葉の覚えの早い子だ
った。ところが幼稚園に上る頃からおかしくなり、言葉が消え、歩
行が出来なくなり、十七歳になる今、指一本自分では動かせず、鼻
からチューブで流動食を注入されている。それでいて意識は鮮明で、
人の話も聞き分けられるというのだからたまらない。槇子は髪かき
むしって苦しんだ。こんな不条理が許されるのかと。
 そして何ものへとも知れない怒りがあきらめに変わって来たとき、
現実を現実として受け入れ、「障害児は神の与えた教材だ」「親の
人生の教師だ」という逆説を承認するほかなかったのだ。
 しかしそれにしても神は、何の必要があってこんな「教材」を作
ったのだろう。人類の「進歩」のためだというが、人類はこの「教
材」によって多少でも「進歩」しただろうか。全能の神のことであ
る、何も人間の命を弄ばなくても、もっとましな「教材」が出来た
だろうに。    
 もっとも、いっさいの答の出ないのが、神の意志の特徴なのかも
知れない。ただはっきりしているのは、神は気まぐれに命を作って
地上にばらまき、生きるのは絶対にひとりひとりだということであ
る。ただ一回性の命を。
 いったい人間愛とはどういうことなのだろう。障害児たちの運動
会の後、PTAの女の会長が、「たとえ指一本でも、自分の力で成
し遂げたのだから、それを大事にして、自分を好きになって下さい」
と締めくくるのだが、これが愛というものだろうか。彼女はおそら
く、自分の愛に身も心も浸されていることだろうが。
 通所施設を作る準備会の席上、入退院を繰り返していた淳二がま
た救急車で運ばれることになったという報せが届いたとき、招かれ
ざる客、あのALSの団が言う。
  「淳二クンっていいましたっけ……あの子が入院して、治すの
は、なんのためだと思います?……」
「それはね、また苦しむために……できるだけ何度も苦しむよ
うに、そのために治すんですよ」
周囲の非難に対して団は挑発的に声を高める。        
「つまりああいう子たちをなぜ生かしとかなきゃならないのか
ってことですよ」
 団は槇子の夫宏之に殴られて鼻血を滴らせながら、嘲るような笑
いを浮かべて続ける。
「昔は障害者の平均寿命は二十歳ほどだったのに、最近は四十
歳以上になってるそうですね。親は昔の倍も面倒看なけりゃな
らないし、世間さまも倍の税金を使わなきゃならない」
団のこの発言に嘘はない。誰もが認めるしかない厳然たる事実だ。
反対は心情論でしかない。だから槇子の夫は暴力を振うしかなかっ
たのだ。みずから信ずる善人というものは、自分の正義で世界を照
らすものである。
 もう十四、五年も昔、ある新聞にこんな記事があった。その女の
子は仮死状態で生まれ、意識も呼吸する力もないまま人工呼吸器を
つけられ、医師六人チームの集中治療を受けながら、二年半も命を
保っている。だが脳波は初めからほとんど平坦なままで指先も自分
では動かせない。両親は、娘の人権を踏みにじる行為だから呼吸器
を外してほしいと要求するが、病院側は「医学的には生きている」
と拒絶し、鼻の穴からチューブで毎日八回、六十tずつのミルクを
送り、容態が悪化した時には点滴をしながら「治療」を続けている
という。その肉体を、わが子として見つめ続けねばならない両親の
心情が察せられようというものだ。因みに費用は、あの団が言うよ
うに、大半が公費負担だそうだ。その後どうなったか私は知らない。
 勿論これは、淳二や慧や綾の場合とは事情が違う。しかしこれが
人間の生命の尊重だとすれば、生命の尊重とは、何と厄介なことだ
ろう。
 ところで人間の生命というものは、そんなに重大なものだろうか。
人間も地上の生き物の一つだろう。とすると、人間も個として生き
ているのではない、人間という種として生きているのだ。とすれば、
ひとりひとりの命には何の意味もないのであって、種の流れの鎖の
一つにすぎないのである。「進歩」のためには淘汰もされねばなら
ないだろう。
 だがしかし、そうしたことを先刻承知していながら、私たちは、
生きる命のせつなさ、かなしさを知っている。どうすることも出来
ない愛しさ、それがどれほど拙いものであっても。古来文学という
ものは、誰が何と言おうと、それぞれの状況に置かれた者の生きる
命の声であった。
 だから私たちは、団の正論は正論として、ここに描かれているよ
うな重度の障害児の命に対する、何とも言いようのない、ある怒り
に似た思いを抑えることが出来ない。特に慧のように、意識だけは
鮮明であるというのは無残である。そして、年頃になった慧の顔に
はニキビが出来、彩には生理が始まる。これが「人類が進歩するた
めに神様がお与えになった教材」なのだ。伸ちゃんはきよのの予想
通りに死ぬ。そして淳二も死ぬ。その死に、むしろほっとするのは
なぜだろう。
 作者宮原は、障害児の問題を扱いながら、その障害児たちを許せ
ないのだ。自由意志という人間の条件を持って生きられない彼等を。
生かされているだけの命なら、とうの昔、太宰が『Human Lost』で
言っている。 
ただ、飼ひ放ち在るだけでは、金魚も月余の命、保たず。
 槇子はあの運動会の挨拶を聞いた後、慧が「それなりに毎日が生
きててよかったって思えるように……自分を好きになれるように…
…」努力してきたというが、慧に口が利けたら太宰流に「生れてす
みません」(『二十世紀旗手』)と言うだろう。宮原は『バンドラ
の匣』の中の、「『自分の生きてゐる事が、人に迷惑をかける。僕
は余計者だ。』といふ意識ほどつらい思ひは世の中に無い。」とい
う言葉も知っている。
 宮原はまた、母親たちを許せない。「自分の可能性」を失くし、
ただ子供のために無償の日々を生き続けねばならない彼女らを。淳
二の通夜の席、喪服の京を見た由香利が思わず「三田村さん、今日
はほんとに綺麗!」と声をあげると、京は「どうせ私は喜んでます
よ! そうですよ! その通りですよ! そういう母親ですよ!」
と叫びながら倒れ伏す。彼女の中に、ほっとした安らぎがなかった
とは言えないだろう。だからこそああも激昂したのであろう。だが、
と同時に、あるいはそれ以上に、それだけの人生でしかなかった子
供への憐憫があったに違いない。その気持ちが、自虐的な言葉のは
しばしから伝わって来る。宮原が京に、「神様は、苦労する値打ち
のある人間を選んで苦労をお与えになるんですって]と言わせてい
るのは、実は宮原自身の、神に対する痛烈な告発であった。

 きよのの治療に当たった東海林医師も「超」のつく善人だ。忙し
い医療に携りながら槇子たちの通所施設設立の世話人に名を連ね、
団が殴られたあの準備会にも出席する。彼は慧がいよいよ自発呼吸
も困難になって入院しているとき、槇子に向かって、
「いまどきは、五体満足な連中のほうが厄介なくらいでね。む
しろ……」
と言う。これはどんな意味だろう。
 昔、批評の神様といわれた小林秀雄が、「無常といふ事」という
短いエッセイで、「生きている人間というものは仕方のない代物だ。
何を考えているのか、何を仕出かすのかわからず、鑑賞にも観察に
も堪えない。そこにいくと死者は立派だ。だんだんはっきりして来
て、まさに人間の形をしている。」という意味のことを語っている
 のに出会い、ふうむと感嘆したものだった。しかし気づいてみると、
ばかばかしいほど当たり前のことで、死者はもう動くことはない、
埴輪のように物質化しているのだ。そのとき感嘆したのも、あまり
にも当たり前すぎることを神様に告げられたためであったかも知れ
ない。
 もしかすると東海林医師の言葉も、五体満足な者は可能性のなか
で動きまわる厄介な連中だということになるのだろうか。とすると
続く、
「いちばんマトモなのはそちらのオッカさんたちかも知れない
な」
というのは、倒れて動けなくなったきよのが一瞬解放を願ったあの
毎日毎日繰り返される同じ日々、槇子なら、流動食を作り、鼻から
流し込み、おむつを取り替え、体を拭いてやり、何分おきに寝返り
をうたせ──という、饐えたような汚れ物の匂いの漂うなかでの永
劫の徒労を、もはや疑うこともなく自分の運命としてひき受け、そ
こからはみ出すことは絶対にない、ということを意味しているのだ
ろうか。つまり善人の型の中で生きているのである。とすればこれ
は決して褒め言葉にはならない。
 これらの登場人物のなかで、唯一生身の人間を感じさせるのはフ
サエである。作者宮原が一番愛する女であろう。
「赦さなくったって、寝ることくらいは出来ますよ。」
 太宰が喜びそうなせりふだ。彼女も障害児を生んだことがある。
数年後、夫は耐えられずに家を出た。やがて子供は死んだ。彼女は
言う。
「自分を捨てたのは赦してもいい……でも、あの子を捨てたの
を赦す権利は私にはない」
 しかし、おそらくは彼女も罪人なのだろう。彼女は夫のように逃
げることはせず、自分の手で始末したのだ。それは彼女が槇子たち
の仲間に加わるときの言葉や表情にも暗示されているし、後に東海
林医師が、障害児を持つ親というものは、子供が「穏やかな顔して
眠っているのを見てると、フッと魔がさしちゃうらしいんだな……
 このまんま逝かしてやりたい、っていうふうに」という話をすると、
彼女は「クッ、と奇妙な声」を漏らしてテーブルに屈み込む。これ
以上の説明は無用だろう。
 それでいて彼女は、別れた夫と旅行もすれば、訪ねて来たのを追
い返したり、夜中に突然押しかけたりもする。「それこそ嵐のよう
に」。夜を共にしたあるとき、彼がふと眼を覚ますと、下着のまま
枕元に座っていたフサエが、牛刀を膝に置いてじっと見下ろしてい
たという。刺し殺したいほど憎い男、その男と寝るのである。「赦
さなくったって、寝ることくらいは出来ますよ。」──この言葉に
は、業を負って生きる人間の怨念がこめられているようだ。
 これこそ無頼派宮原の本音であろう。断るのも気はずかしいが、
 ここで言う無頼派とは通俗倫理に対する心情的な反抗の意であって、
人間性に対する執着と言い変えてもよい。宮原のフサエに対する思
い入れは、この小説でフサエだけが善人の型からはみ出し、女の魅
力をたたえていきいきと描かれていることを見ても知られよう。

 だがしかし、その宮原にも、いや、そういう宮原だからこそと言
うベきだろうか、命への愛とはどういうことなのか、現に生きてる
者をどうすればいいのか、その答はついに出ない。どの立場に立っ
ても後ろめたさが残るのだ。
  そこで宮原は、自称ALSの団をほら吹き症のMSBP(作者注、
うその多い劇的な症状や病状を訴えて入退院を繰り返す状態。)に
してピエロオの役をめでたく終わらせ、槇子には死期の迫った慧の
生命維持装置のコンセントを抜く決意をさせて、バランスをとる。
そして一同が、年来にわたって努力してきた通所施設は、共同売店
のおまけまでついて大団円を迎えるわけだが、その開所式を控えた
揃い踏みの席上、槇子は皆の間に転がされて「意味のない声」をあ
げている彩に、ほとんど放心の状態で、
「彩ちゃん、おねがい……出来るだけ生きて、出来るだけ幸せ
   になってね、みんなの分までね。おばさん、そのためだったら、
どんなことだってやるから。ね、だからね、おねがい」
と語りかけ、この小説は美しく幕を閉じる。
 だが作者の宮原は救われない。美しく幕を閉じたにしては、読後
感はむなしい。何やらいらだたしい疲労感さえ残る。
 この後槇子は、決意通り、慧の生命維持装置のコンセントを抜く
だろうか。作者は槇子に引きずられそうになりながら、まだ対話は
続いている。おそらく慧が息をひきとるその時まで、同じ対話が繰
り返されることだろう。
 フサエは別れた夫との生活を元に戻すだろうか。彼女の場合も、
死んだ子に対する自責の念が消えるまでは何も変わらないだろう。
そして自責の念は生涯消えることはないだろう。ここにも救いはな
い。
 作者は楽天的なヒューマニズムの仮面をつけ、時には飄々ととぼ
けて、笑いさえ誘いながら書き進めているが、隠すより露わるる、
その仮面の下に、作者の苦渋の顔が透けている。それは多少とも小
説を読んだことのある者なら、誰しもすぐに感ずることだろう。
 しかし、解決もなく、空とぼけているから、読者はしだいに作者
の仕かけた毒に当たってゆく。そしてふっと気づくと、人間の命の
せつなさ、かなしさに思いをひそめているという仕組みである。よ
くも瞞してくれたな──と思いながら、作者と同じ、茱萸を噛みつ
ぶしたような渋い思いに浸されてゆくことだろう。

 現代の社会では、自由・平等の意識の絶対化・通俗化と相俟って、
生きる権利だとか、生命の尊重だとかいうことが抽象的な観念とし
て肥大化し、反論のしようのない錦の御旗として罷り通っている。
だから障害者の問題も、現実との接点を失ってゆくことがあるのだ
ろう。槇子の夫宏之が、自称ALSの団に障害者対策のジレンマを
指摘され、「それがどうした」と開き直るところを見るがよい。遠
からず、超高齢化社会の老人対策という圧倒的な問題がこれに加わ
ってゆくことだろう。いま人間は、自分で作り上げた偉大な「勲章」
を首にして、その重さによろめいているのである。現代を生きる者
の『罪と罰』、と言えば言いすぎだろうか。
「神様は、苦労する値打ちのある人間を選んで苦労をお与えになる」
──、永遠に石を押し上げ続けねばならない選ばれた人間、それが
絶対者神の意志なのだ。

*『三田文学 No.71 秋季号』(2002年11月1日)







 母親が挑む障害者支援                   


 自分たちの手で、重度障害者の地域作業所づくりに挑戦する女た
ちの物語。                         
 佐竹槇子には、十七歳の障害児、彗がいる。鼻孔にはカテーテル
が差し込まれ、痰(たん)を取るには吸引器が必要。      
槇子は亡くなった母の隠居所を改良して、地域作業所を作るのが夢
だ。資金作りのため、一緒にハーブ入りのせっけんを売っている仲
間の堀由香利には生理が始まりかけた彩、三田村京には入退院を繰
り返している小学生の淳二がいる。              
 仲間を増やすため、一人暮らしの白井きよのにも声をかけるが、
にべもなく断られる。そのきよのは転倒して入院し、孫は死ぬとい
う事態に。槇子が当てにしていた母の家は借地の期限が切れ、地主
から返還を迫られる。                    
 困難に立ち向かう三人の回りに、ボランティアの女子学生をはじ
め、過去に障害児を亡くした保育園の保母や地元新聞記者、医師、
司法試験を目指す青年、妄想虚言症の若者とさまざまな人間が集ま
り、支援の輪が広がる。みんなの努力によって作業所が開所する直
前に淳二が死んでしまう。                  
 障害者の生と死を見つめながら、この作品は不思議に重苦しくな
 い。母親たちの生き方は、むしろ楽天的とも映るたくましさがある。
 それが作者の持ち味なのだろう。              

*『神奈川新聞』(2002年6月3日)            







 作家の暖かい眼差し                    
 「重度障害児」とその家族の群像   黒古一夫(文芸評論家)


 評者である前に一読者である「私」が、読んで励まされるという
か、元気付けられるというか、あるいは人間に対する信頼のような
ものを得られるという本が、確かにある。例えば、『樹下の家族』
で出発し、その後次々と秀作を発表しながら五十歳を目前に亡くな
った干刈あがたの小説群は、そのようなものの典型であった。  
 たぶん、近代文学(小説)というのは、本質的にそのような要素
を何処かに隠し持っているものであったはずなのに、殺伐とした事
件が相次ぎ、混沌としか言えないような現実をこれでもかこれでも
かと見せられ続けている今日にあっては、そのような文学の本質を
私たちはいつの間にか忘れさせられてしまったのかも知れない。 
 その意味では、現代文学の主流とは少々離れているが、文学本来
の役割(本質)を思い出させてくれるのが、本書である。長い作家
歴にしては珍しい著者「初の書き下ろし長編」である本書は、現代
文学がこれまでほとんど取り上げることになかった「重度障害児」
とその家族の群像を、「作業所建設」への過程を軸に描き出したも
ので、「知らなかった=知ろうとしなかった世界」が作家の暖かい
眼差しによって見事に明らかにされている。十分におのれの意思も
伝えられず、なお身体も自らの意思で動かすことができない「重度
障害児」を抱えた家族が、国や地方自治体の援助が十分に得られな
 くなる養護学校卒業後にどのような形で「今後」を過ごしていくか、
ここでは「作業所」を建設することによってお互いが助け合い、協
力しあって何とか「自立」を目指すまでが描かれているのだが、そ
の紆余曲折の過程で明らかにされるのは、もちろん「重度障害児」
(とその家族)の問題である、と同時にそれらを取り巻く健常者(
圧倒的多数派)の問題である。                
 著者は、あからさまな形では「差別」や「異端児」の問題には触
れていない。しかし、仮設の作業所としている借家の大家が契約更
新を渋ったり、借家探しが難航したりする過程をさりげなく描くこ
とで、この時代の理不尽さや健常者が内包している「病根=不健全
な心理・精神」を浮き彫りにしている。また、困難を抱えた「障害
児」とその家族を支援する「善意」のヴォランティアたちもそれぞ
れが内に何らかの形で問題を抱えていることも書き込むことで、「
障害者」の問題はとりもなおさず健常者の問題であるという確かな
主張を、作品の底に潜ませることも忘れていない。       
 この作品を読んで「励まされ」「心温まる」というのは、以上の
ような物語の展開もさることながら、シジフォスのように「永遠の
苦行」を強いられる障害者の家族こそ、人生を豊かに充実して生き
た者に対する「勲章」を与えられるべきである、とする断固たる著
者の姿勢が作品に貫流しているからに他ならない。本書を手に取っ
た私たちは、著者に同調しなければならない。         

*『読書人』(2002年5月31日)            







   障害者を支える栄光の重さ                 


 はじめての書き下ろし作品。しかもテーマは重度の障害者を抱え
た親たちの物語、足かけ四年の結実です。           
 「年内に第一稿をといわれているうちにお正月を四回も。これで
は商売にならないですね」                  
 モデル問題が焦点となった柳美里さんの裁判も、執筆遅れの要因
に。                            
 「最初の案から軌道修正せざるを得なかった。障害者問題がすご
く書きづらくなったというのは事実です」と語ります。     
 親や支援の人たちが、力をあわせて共同作業所づくりをめざしま
す。時代は二十年前、今ほど世間の理解がすすんでいません。偏見
と誤解、歯がみするような親たちの思い。きれい事でない本音も飛
び交います。親たちを奮い立たせるものは何なのか、重い問いかけ
があります。                        
 「人間のように介護をする動物はいません。動物は自然淘汰にま
かせてしまいますが、人間はしない。それをしないのは人間の栄光
であり勲章であるとともに、その勲章はすごく重たいんですね。そ
の重さでよろけてしまうこともある」             
 表題には複雑な思いが込められています。「はい」「いいえ」を
まばたきで表し、文字盤を使って会話ができるようになった親子。
 苦労して発した最初の子どもの言葉は…。思わず胸が熱くなります。
 芥川賞受賞作「誰かが触った」(72年)は、ハンセン病療養所
が舞台。隔離政策の非道を訴えた作品です。「この問題ではどこか
らも取材がないんです。いかに僕の作品が社会的影響力がないか身
にしみましたよ」。                     
 半分冗談、半分本音の表情。今も所有する漁船で釣りにでるとい
うだけあって、若々しい声で笑い飛ばします。(牛)      

*『本と人と』                       






    
 シジフォスの勲章                     


 重度の障害児・者をもつ3人の母親が中心となり、養護学校を卒
業した子どもたちが通える作業所を作ろうと奮闘する物語。障害を
もつ人たちが通う作業所作りを背景に、様々な問題が浮かび上がっ
てきます。                         
 『障害をもつ子どもたちが生きていくことにどんな意味があるの
だろう。』皆さんは、この問いに答える事ができますか? 作品に
登場するこの一節は、同時に人間の生きる意味も深く考えさせられ
るのです。                         
 全ての面において介助が必要な子どもを前にその親が子どもとど
のようにして向き合っていくのか。また、障害をもつ子ども自身も
自分の障害とどう向き合っていくのか。この作品を読んだ人は作品
に出てくるお母さん方の姿に胸を打たれることでしょう。    
 『喉の渇いていない人が飲み水を誰かに譲るのはなんでもないけ
れど、カラカラにのどが渇いた人が水を譲るのは高潔だよ。障害児
を育てるのがなんでもないんだったら別に立派じゃないでしょう。
いろいろな思いをしながら背負い続けているからこそ、立派なんじ
ゃないかな』という一節が強く心に残ります。         
 この本は芥川賞作家・宮原昭夫氏の2001年書き下ろしの作品で小
説風となっています。                    
 いこいの家の所長推薦『シジフォスの勲章』是非読んでみてくだ
さい。(S)                        

※シジフォス……ギリシャ神話中の人物で、コリント王。ゼウスに
憎まれて、死後、地獄で絶えず転がり落ちる大石を山頂へ上げる刑
に処せられた。シシフス、シシュフォスとも言う。(広辞苑より)

*『本』                          






 
 障害持つ人への熱いメッセージ               
                       松木 新


  第六回障害者インターナショナル(DPI)世界会議がこの十月、
“すべての障壁を取り除き、違いと権利を祝おう!”をテーマに札
幌で開かれる。「なくそうバリアふやそう心のバリアフリー」を合
言葉に、世界の障害者が札幌に集うこのとき、この会議に呼応する
 かのように宮原昭夫が初めての書き下ろし作品『シジフォスの勲章』
(河出書房新社)を刊行したことは、文学者の積極的な社会参加の
表われとして高く評価したい。                
○作業所作り通し子どもから学ぶ○              
 『シジフォスの勲章』は1980年代初め、養護学校の全コースを終
えた若者たちを受け入れるための地域作業所を、親たちの手で設け
る物語である。                       
 隠居所として建てられた部屋で、障害を持ったわが子と一緒にこ
ぢんまりとした集まりをもっていた母親たちが、借地期限が切れる
のを口実に地主から退去を求められる。やむを得ずに立ち上がった
母親たちは、子どもたちが家庭で暮らしながら、毎日通って触れ合
いや学習、訓練、健康管理などのできる通所施設の建設をめざす。
親や家族にとっては通所ではなく入所の方が楽だが、「私たちが望
 んでるのは、わが子がベッドの上で大事にされることじゃなくって、
生きてるって感じさせてもらうことなんです。イノチを大事にする
のと、生キルを大事にするのって、違うんじゃないかしら」、とい
う信念に突き動かされてのことであった。           
 子どもたちが養護学校を卒業する年の四月、通所施設までの暫定
目標であった作業所メモリーが完成する。寝たきりの孫とのニ人暮
らしだったお年寄りが階段から落ちて身動きがとれなくなり、発見
されたときには孫が亡くなっていたという悲劇を、二度とおこさな
い決意がメモリーという名称にはこめられていた。       
 運動に参加してくる人たちもまた、それぞれが心に傷を負ってい
る。わが子が亡くなっても気丈に活動を続ける京。まつげのまたた
きでやっと息子との意思疎通が図れるようになった槇子は、機械に
頼らなければ生きていけなくなったら外してほしいと息子に頼まれ
がくぜんとする。かつて障害を持った我が子と妻を捨て去り、子ど
もが亡くなったあと贖罪(しょくざい)するかのように運動に参加
する小川。小川への怨念(おんねん)を胸に秘めながらも心が揺れ
 動くフサエ。彼らの心の傷痕が障害者の無垢(むく)の瞳(ひとみ)
に吸い寄せられて、作業所づくりの熱情へと転化していく。人々へ
の思いやりや、人々と一緒に生きていく心を磨くチャンスを子ども
たちは親たちに与えているのであり、親たちは子どもたちから学ん
でいく。まさに障害を持った子どもたちは「親の人生の教師」なの
である。                          
 ギリシャの神々がシジフォスに課した刑罰は、休みなく岩を転が
して山頂まで運びあげると、岩はそれ自体の重さで転がり落ちてし
まう、それを繰り返すというものだった。カミュは「シジフォスの
神話」のなかで、無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないの
だが、岩を山頂まできっと運びあげることができるという「希望」
がシジフォスを支えているとすれば、彼の苦痛などどこにもない、
といっている。母親たちにとってシジフォスの勲章はまさにこの「
希望」であった。作業所は必ずできるという希望が、苦しみににう
ち勝ち悲しみを乗り越えてきた原動力であった。        
 作品の最後で意味のない声をあげている彩(あや)に、「出来る
だけ生きて、出来るだけ幸せになってね、みんなの分までね。おば
さん、そのためだったら、どんなことだってやるから。ね、おねが
い」、と槇子が無意識に語りかける場面がある。これは障害を持っ
た人たちへの作者の熱いメッセージだろう。          

*『文芸時評』                       







   障害者の周辺を描いて 作家宮原昭夫さんに聞く       


 弱者への優しい目線と細やかな心情描写で知られる作家、宮原昭
夫さんが、久々の長編小説『シジフォスの勲章』(河出書房新社)
を刊行した。重度の身障者を持つ親たちの葛藤を通じ、生の不条理
と自己救済への道を問いかける。ハンセン病療養所を舞台にした『
誰かが触った』から30年。内省を深める作家の横顔に触れた。【有
本忠浩】                          
 8月に古希を迎える。310枚の作品で、長編としては初の書き
下ろし。前作の『陽炎の巫女たち』以来10年ぶりの単行本になる。
 「ずいぶんサボってたなー」とバツが悪そう。しかし、その空白
を埋めるだけの懐深い洞察を感じさせる作品だ。読み手をいつの間
にか、作家が自問する世界に引き込む魅力を秘めている。    
 重度の障害児者を持つ堀由香利、三田村京、佐竹槇子の3人の母
親が中心になり、自前で障害者の作業所作りに奔走する姿を描く。
失恋の痛手による空虚感を埋めようと輪に加わった女子大生なども
登場し、心のひだを重層的に映し出す。とりわけ、己の境遇をどこ
か慰め合うかのような母親たちと、挑発的な問いを発するALS(
 筋萎縮性側索硬化症)患者と自称する団翔一郎との対比が鮮やかだ。
 <「よかったわね、(講師の)あのお話」……「障害児は人類が
進歩するために神様がお与えになった教材だ、って。……この子た
ちは、親の人生の教師だ、って」>              
 <「それは、正しく、美しい言葉ですよ。でも……」。「……毎
日、同じ問いが生まれるから、毎日同じ答えが必要になるんでしょ
う。……殺しても殺しても生き返る問い……それはね、この子たち
が生きていることにどんな意味があるんだろう、っていう問いです
よ」>                           
 4年越しの作品。「これまで長い間、人間が背負う重荷について
思いをめぐらしてきた。身障者の問題を素材にしたのは、作品と似
た境遇の人がたまたま親しい人にいたから」。宮原さんは執筆の動
機をそう語る。                       
 タイトルに冠した「シジフォス」は、山頂に持ち上げては落ちて
くる岩を、倦むことなく持ち上げ続けるという永遠の苦業をゼウス
に課せられたギリシャ神話の登場人物。「永遠と思えるような徒労
や重荷に、人はどう向き合っていくのかを表現したかった」   
 宮原さんはかつて、ハンセン病の少年少女患者と教師の姿を描い
た『誰かが触った』(芥川賞)で、個々人の葛藤を、「触る」とい
うキーワードで浮かび上がらせた。「誰が」「どのように」「触っ
たのか」? あるいは、「触らなかったのか」……。      
 今回の作品にも、「正」「邪」の心を併せ持つ人間の多面性が顔
 を出す。それでいて、一見対極にあると思われる作中人物の会話が、
ともに胸にストンと落ちる。正邪のバランスが巧みで、「重荷を背
負う人間」に寄せる作家のまなざしに、包み込むような暖かさがあ
るからではなかろうか。                   
 <重荷というのは信念と同じ働きをする。。作品に登場するせり
 ふの一節。宮原さんは改めて考える。「作品に即して言えば、一見、
重荷を背負っていないように見える健常者は、では、幸せと言い切
れるだろうか」と。                     
 宗教もイデオロギーも容易には、自己の信念にまで血肉化しにく
い現代には、「重荷が大変なことは重々分かったうえで言うのです
が、重荷がないことは逆に、存在の軽さにさいなまれるという逆説
すら成り立つかもしれないと思うのです」。          
 さて、カミュが不条理の象徴とみたシジフォスに、宮原さんが「
勲章」を授けたのはなぜなのだろうか。            
 作中にやはり、病院の医師がつぶやく次のようなせりふがある。
 <喉の渇いていない人が飲み水を誰かに譲るのはなんでもないけど、
カラカラに渇いた人が譲るのは高潔だよ。障害児を育てるのがなん
でもないんだったら、べつに立派じゃないでしょ。いろんな思いを
しながら、背負い続けているからこそ、立派なんじゃないか>  
 ここにこそ、現実に打ちのめされそうになりながらも、なおかつ
崇高な精神を追い求めようともがき続ける作家の内面を見るような
気がするのだが……。                    

*『毎日新聞(夕)』(2002年4月26日)         


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