編集後記 Byすりきれ
阿部健一郎



2005年12月30日

 
いやあー、編集後記というよりは、始末書と言った方がいいかも。新年会の予定も立てられず、年を越してしまいそうです。せっかくみんなで集まれる楽しい一日だったのに。。。すごく残念です。しかし、なにも正月にしなくたっていいんだ、ちょっと時期をはずせば乙ではないか・・・と悔し紛れのことも考えつつ、これは、ぜひ、皆様のお知恵とパワーをお借りして、なんとか、一年ぶりになる方やら、初めての方やらで、ご隠居を囲んで八重にも十重にももっともっとながーく、蛇のとぐろのように取り巻いて、ぎゅっと締めて・・・いやそうじゃなくて、神木をじゃなくて、親睦をはかりつつ、さらなるご隠居の知恵やご自慢の老人力のお裾分けにあずかる機会を作ろうと思います。ちょっと先になるけれど、待っててね。

さて、今年のホームページは、たのしいイベントこそ少なかったものの、「恋文」がどっさり貯まり、9月に行われた初の「恋文 合評および講評会と親睦の集い」は、突然「サロン恋文」へと飛躍して、次なる道程も見えてきました。毎月、いただく写真も作品ならば、コラボレーションする文章も作品です。当日は、楽しいながらも息詰まるような貴重な時間を共有できて感無量でした。
「恋文」は大きく門を開き、さらに「サロン恋文」もより開放的な場にしたいと考えています。

息切れ気味の「うずきたかれ」の更新が滞っておりましたが、ご隠居はどこからか新たなるパワーを仕入れてきて、「そうだぁ、ミニで行こう。これなら、青息吐息でもなんとかなる」と思ったのかどうか・・・・
「すりきれっ! こういう企画で行くう」と言ったかどうか定かではないが、たぶんそういうふうなニュアンスで、「うずきたかれミニ」が新コーナーとして誕生し、毎週、原稿が送られてきます。偉いです! 
しかし、ここには、ご隠居の魂胆が見えています。これはご隠居ならではのアプローチなのです。つまり、あー言ったからには、こー言って欲しいという、つまりコミュニケーションね。そうです、ご隠居はそういう気持でウンチクを絞っているのです。今頃も、どこぞの図書館の隅で、あるいは縦やら横やら斜めやらに積まれた書棚の本の中から・・・。

そして、もう一つの出来事は「リレー小説の試み」です。ただいま、第二十回になりました「色鳥」は、もう試み以外の何者でもありません。始めてしばらくしてご隠居にうかがったところ、「何回もしたけれど、成功したことないの」とのことで・・・しばし唖然。
そういうことも恐れないご隠居の肝の据わりように驚くとともに、むくむくと湧き上がる不安に押しつぶされそうになりながら、今までなかったということは、これが成功第一号になるかも知れぬという、暗幕に針で突いたようなちびっちゃい明かりを見いだし、奮い立たせ、長の旅路を続けています。
しかし、リレーというのは楽しいものです。渡されるものがものだけに、なんとか次の人に渡さなければならないのはもちろん、展開しなくてはならないので、走りながらタスキを回したり、こねくったり、蝶々結びにしたりするのですが、それがまた難しい。難しいというのは苦しいというのと同じですが、苦しいというのはひとつの快楽で、そういう互いの姿を共感しつつも、ふふふと漏れる笑み、すごく罪深い。
とはいうものの、各自各様にかなり羽ばたいています・・・若干悶絶ばかりの人もいますが。

さらなる出来事は、「恋文」の小城伊津子さんの作品を「宮原昭夫ホームページ文庫」として本にすることになりました。同時に、小城さんの本をもう一冊。さらにさらに、「うずきたかれ」も本に作ります。発売元はリヴァームーンJ社で、制作人はすりきれです。全部手作りです。純粋で素朴なオンデマンドです。注文が来てから作ります。でも、少しはまとめて作っておきます・・・練習のためじゃないよ。でも、だんだんとうまくなる予定です。
2006年の発売になります。これについては、近々ご紹介が出来ると思います。


特記すべき事柄をずらずらと書いていて、やっぱり、「ゴーヤチャンプルバトル」や「連句」や「新年会 図らずも大俳句大会」もやりたかったなあと、つくづく思うのでありました。2006年には、絶対やるもんね。

すりきれ

2005年9月26日

 
 最近では携帯電話で漫画も読める時代になりまして、電車の移動中に携帯電話から漫画を読む日々を送っています。携帯電話がこんなに進歩していくなんて思いもしなかったですよ。今まで宮原先生のサイトはパソコンからしか閲覧することができなかったのですが、ついに宮原先生の携帯電話版のサイトを作りました。パソコン版のように全部のコンテンツを閲覧することはできませんが、パソコンを持っていないユーザーの皆様にも、ごく一部のコンテンツを閲覧することができるようになりました。

☆携帯電話から、こんな感じで閲覧することができます☆

宮原昭夫公式サイト 横丁の隠居をめざす作家携帯版

 僕の近況は、前のコンビを解散しまして、現在、新しいコンビでスタートしております。現在の相方は、かなりの問題児でありまして、日々、びっくりさせられています。

阿部健一郎

2005年3月23日

 今までPHSを使っていたのだけれど、いろいろと考えた末、auの携帯電話に変更することにしました。PHSはインターネット使い放題のサービスに入っておりまして、ノートパソコンに繋げば外出先でもインターネットができたり、パソコンのメールアドレスの送受信ができたりして便利だったのだけれど、auの携帯電話でも定額料金でモバイル用のインターネットに繋ぐことができたり、設定しだいでは、パソコンのメールアドレスの送受信が携帯電話からでもできることが分かりまして、こりゃ、PHSからauの携帯電話に乗り換えだなと、さっそく1円で携帯電話に新規加入してしまいました。
 実際に携帯電話を使ってみた感想は、いい感じですね。メールも定額料金に含まれているので、携帯電話のカメラで撮影して、メールで送るとインターネット上の絵日記にすぐに掲載されるので、これでもかというぐらい写真画像を送ってしまったり、僕の購入した携帯電話にはムービーカメラ機能もついているので、15秒の動画も撮影して、メールで送るとインターネット上の動画用のブログにもすぐに掲載されるので、タイムリーに動画を配信したり、新しい携帯電話生活がスタートしました。
 それに伴い、携帯電話からでも恋文が読むことができるようにブログ化してみました。少しずつバックナンバーもブログ化していこうと思いますので、よろしくお願いします。

☆携帯電話からの恋文☆
↓僕の携帯電話からは、写真も見ることができました。 ↓


阿部健一郎


2005年1月25日

 わいわいがやがや「長屋の初詣」に参加してきたのだけれど、胃の調子が悪く、食事することができませんでした。参加された皆様は、お酒を飲みながら楽しく食事をされていまして、僕は、皆様が飲んで食べている姿を眺めていました。食事のときに句会がはじまりまして、このときの心境を俳句にしました。

 生卵あたってしまい蜆汁

 断食をすれば胃が良くなると思ったのだけれど、なかなか良くならなくて、後日、病院に行きましたら医者にこんな診断されました。
「急性胃腸炎です。食事はカロリーメイトでいいですよ」
 医者に言われたとおり、カロリーメイトを食べたのだけれど、毎日食べるのは辛いですね。ああ、健康だった日々が懐かしい……。

 あっ! 遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。今年もホームページの管理人をやらせていただきますので、よろしくお願いします。

阿部健一郎

 

2004年10月13日

 最近は、人と人との縁は不思議だなぁと思える出来事が2つありました。まず1つ目が、宮原先生の公式サイトの管理人をすることになったことです。前に担当されていた方が、諸事情により管理人をすることができなくなったらしく、たまたまパソコンに詳しかった僕に白羽の矢が当たったのでした。いやー、僕なんかでいいんでしょうか。不安な気持ちもあるのだけれど、精一杯やらせていただきます。
 2つ目は、お笑い芸人の活動をすることになったことです。元々、お笑いの活動をしていた赤井さんのコンビが解散したのがはじまりでした。赤井さんからは、よく悩みを相談されては僕が答えていた仲でありまして、ある日、
「コンビ解散しました。浅草で会いませんか?」
 と連絡がありました。浅草の雷門で待ち合わせると、赤井さんが、
「コンビを解散したことを劇場の方に挨拶しに行きます。いっしょにきてください」
 と僕を劇場に連れて行くわけですよ。劇場にたどり着くと、赤井さんは誰かを待っているみたいで、僕もいっしょに待っていたわけです。その間、久しぶりに会ったというのもあり、会話がはずんでしまったんですね。その会話を劇場の大道具さんらしき方が聞いていて、
「今、話していたことを、舞台に立ってやってごらん」
 と言うではありませんか。僕は困った顔をしてしまったのだけれど、赤井さんは、

「はい」
 と返事をしてしまったんです。で、舞台で赤井さんと先ほど話した会話を漫才のような感じですることになりました。漫才のようなものが終わった後に、大道具さんらしき方がダメだしをしてくれたのだけれど、こんなことを言われました。
「前のコンビでは赤井ちゃんはしゃべらなかったのに、君が横にいると赤井ちゃんはしゃべるねぇ。こんなにしゃべる赤井ちゃんを観たのははじめてだよ。今、劇作家の方がきてるから観てもらう?」
 僕はびっくりしてしまって言葉が出なかったのだけれど、赤井さんが、
「はい」
 とまた返事をしてしまったんです。で、今度は劇作家の方の前で、先ほどの会話をすることになり、終わった後、ダメだしをもらったんです。これで終わるかと思ったのだけれど、今度は劇作家の方に、
「君は今何をしているんだ?」
 と質問されまして、
「はぁ、4月から大学に通いはじめまして、宮原先生が講師をしている文学学校にも通っています」
 と答えたんです。そしたら、
「じゃあ、君、文章の勉強しているんだから台本作ってごらん。彼から面白い話を聞いて、それを台本にしてごらん」
 と言うではありませんか。大道具さんらしき方も、
「それはいい」
 と言いはじめまして、ここまできて断るのもあれだし、赤井さんとやる方向になりました。
 あっ、最後にもう1つありました。その劇場で主催のライブをやらせていただくことになりました。 後で知ったのだけれど、大道具さんらしき方が、劇場の社長さんだったんです。人と人との縁は不思議だなぁと思えるこの頃です。こんな僕ではありますが、管理人を精一杯やらせていただきますので、よろしくお願いします。

阿部健一郎

 

2004年8月20日



 今年は暑くて、8月6日も9日も黙祷の時間には蝉の鳴き声
が頭の上から降り注いでくるように聞こえていました。私には
蝉の鳴き声が、黙祷という言葉に合わせて突然大きくなったよ
うに聞こえ、それは昆虫が鳴くというよりも、なにか泣き声の
ように聞こえて耳に染みこみました。この命のはかない蝉でさ
え、あんなに大声で泣いているのに、私たちは心に波立てずに
静かに暮らし続けているものだなあと、その後、あちこちの掲
示板を訪問しながら思っていたのでありました。      
  真夏日の連続記録が出ていましたが、その日に限って肌寒く、
雨まで降った8月15日は、江ノ電沿線新聞社主催の「映画 
『月光の夏』をみて『すいとん』を食べよう会」へ行ってきま
した。                         
 「月光の夏」は自主上演を続けている名作です。上演前に、
作家で元海軍万雷特別攻撃隊隊員の浜野春保さんと、評論家ゆ
りはじめさんにより、「月光の夏」の作品当時の戦局や、特攻
隊の実状などのお話がありました。            

 映画については、ぜひ、機会があった幾度もごらんになるこ
とをお薦めします。とても美しい映画で、中で演奏される「月
 光の曲」と「乙女の祈り」は、壊れないもの、奪われないもの、
唯一確かなものとして暗夜に雲間からこぼれる一筋の月の光よ
うに感じられました。                  
                            
 その後の「すいとんを食べる会」も盛況でした。     

 おいしく頂きました。ご隠居曰く、三個も食べればご馳走で
した。                         

 終了後、幾人かで横浜有隣堂で開催中の「横浜の子どもたち
が体験した『疎開・空襲・占領』戦後の横浜の原点を探る」を
見に行きました。野毛の闇市の話しや、私の家の周りの様子の
お話しも聞くことが出来ました。また、当時の様子を再現した
展示のジオラマに懐かしさを感じ、まだ産まれてもいなかった
はずなのに、デジャビュのように強烈なのでした。
                            
 さて、新しくなった恋文いかがでしようか。楽しんで頂けて
いますでしょうか。小説だけでなく、エッセイや詩や俳句や歌
も、と考えています。コラボレーションは表現のキャッチボー
 ルです、が、創作がたいていそうであるように孤独な作業です。
どうぞ、ご感想を掲示板に書いてください。評論とか、分析と
かでなくて、感想を求めます。柔らかな心の言葉をどうぞお届
けください。恋文が、書く人たちの小さな椅子になることを願
っています。







2004年7月25日



「江ノ島吟行」とそのあとの2つの句会は、記事としてご紹介
しましたので、ここはひとつ、こぼれ話というか、水族館がど
んな世界だったのかを、写真をまじえてお話ししたいと思いま
す。                          

この写真は写真班の撮影によるものなので、私の意図というよ
りも、撮影者の興味や嗜好のよるものなのですが、しばらく目
が点になりました。そのあと、爆発的に笑ってしまい、最後に
ちょっと寂しくなりました。もう、パーフェクトなのでした。
しかし・・・これは、間違いなく7月4日の江ノ島水族館での
出来事で、20年前ではないのでした。          







「イルカと握手 500円」の申込所に並んだ親子連れに、私
も混ざりたかったでした。                


巨大な水槽は、曲がったりくねったりしながら、私たちを魅了
しました。ガラスで区切られているとは知りつつも、思わず手
が出るのです。水の中のあちらの方々は、このガラスの壁をど
のように認識しているのでしょうか。           








 なぜに人は、泳いでいる魚を見ると、おいしそうと思うのでしょ
うか。さらに、口に出してしまうのでしょうか、「旨そうだな
あ」。                         







水族館は午後には混んできて、中でこだまする歓声や嬌声が湯
屋の音に似て、「千と千尋の神隠し」を思い出し、色とりどり
の珊瑚に「竜宮城」を思い出しました。「猿の生き肝」て゛骨
を砕かれてしまった海月たちは痛そうではなく、幸せそうに落
下し続けていました。                  

私は、幸運にも蛸の交尾を見ました。感動的でしたが、後で考
えると隣の蛸の足を食べていただけかも知れないなあと思い、
今もあれはどっちだったのかと思い悩んでいます。もう、平常
心で茹で蛸を見ることが出来ません。酢蛸だってだめです。な
にか、大きな心になってぱくぱくとよく噛んで食べなければな
りますまい。すこしトラウマ。              







2004年7月20日



梅雨の実感のないままに、猛暑になってしまいました。一日に
何度も「暑いですね」と言葉を交わし、「あぢぢぢぢぢぢ」と
独り言を言い、蚊取り線香と扇風機を持って家の中を歩き回っ
ています。動物たちは風の通り道を知っていて、庭では猫が、
家の中では犬が、静かにその場所に横たわっています。朝に露
草を摘んで、小さなコップにさしておくと、一日がすこし豊か
になります。今年は下駄がマイブームです。        

さて、7月から「恋文」は新しい書き手を頂いて、さらに変貌
しようとしています。「恋文」は小説、エッセイ、定型詩、自
由詩など、文字を使うという枠組みだけで、分量も形式も規制
せずに、「写真と文字のコラボレーション」を行うものです。
読んで楽しんでいただくのはもちろんですが、書き手の方にも
表現を楽しんでいただきたいです。            
それに併せて「付け文」と「投げ文」はやめて、「恋文」本体
を充実することにしました。今まで、付けたり投げたりしてい
ただき、ありがとうございました。その中から一部ですが、「
恋文」のほうへ転記させていただきました。どうぞ、新しい「
恋文」同様、お楽しみください。             

さらに、暑い最中ですが、「掲示板」も新しくしたいと相談中
です。今まで書き込んでくださいましたみなさまありがとうご
ざいます。今後ともよろしくお願い申し上げます。「古板」(
仮、古い掲示板)も閲覧できる入口を作る予定です。今度はど
んな掲示板になるか楽しみです。             
  近日中 乞うご期待!!!                

7月4日に長屋の遠足、「江ノ島水族館吟行と句会」をいたし
ました。これにつきましては、ただいま、記事の製作中です。
 できあがり次第、ご報告申し上げます。すごかったんだからあ。
ああ、お楽しみに、出し惜しみ。             







2004年1月31日



 新春ににぎにぎぐしくも、騒々しく、連句の歌会が長屋のご
隠居宅にてとりおこなわれましたのは、正月も明けてやや落ち
つき、ぶらぶらした気分もそろそろきゅっと引き締めねばなら
ないと感じ始めた1月11日のこと。           
 ご隠居の長屋のある辻堂は思ったよりも寒い。辻堂だから、
湘南だし、一応は温暖の地とお思いでしょうが、さにあらず。
寒いの、結構。こういう所で、迷子にはなりたくないけれど、
ご隠居宅は迷子になりやすいのでも有名でもある。なんか怪し
いのである。                      
 すんなりと行き着けずに迷子になる理由のひとつが、蜘蛛の
巣のように張り巡らせられた「あいさつ通り」という看板。通
りというからには、ワンロード、ワンネームでいって欲しいも
のだが、ここは怪しい湘南、そうはいかない。「あいさつ通り
を右に曲がって、次のあいさつ通りを左ね」なんと言われたひ
にゃ、こちとら、Nとしか書いてない磁石を持つも同じ。通り
 の名付け親は町内会長さんとのこと・・・ご隠居じゃないけど。
 そういう場所だから、今回は駅からタクシーで行くことにし
た。みんな集まりましたね、いる人は返事をしてください、は
ーい。まあ、いいお返事、では出発と思いきや、なんか、重鎮
声(ははは、そういうのがあればだけれど)がない。いやに透
き通りすぎて寂しい。奥行きがたりないことに気付き、探せば
いない薄さん。。。もう一本、次こそはと電車を待てども到着
せず。ケイタイは・・・出ないし。            
                            
  ご隠居宅ではもう今か今かと、鶴みたいになっちゃった人や、
喉が渇いて口が滑りにくくなっちゃった人や、お腹が空いて苦
しくなっちゃった人が。そこで、重鎮を待たずに・・・充分待
ったけど・・・我々下り電車組はタクシーに相乗りして、ご隠
居宅へ無事に到着する。ご隠居さまおめでとうござります。堀
口みゆき先生おめでとうございます、秋山参森さまおめでとう
ございます、糸山一さまおめでとうございます。そして、宮原
青子さまおめでとうございます。特別に大きくおめでとうござ
いますを言い合いながら、今日のお招きのお礼とか、新春にふ
さわしい挨拶とかを繰り出し、ずんずんと進めば、なんとと、
すごい八街の南京豆がどどん。その横に林立するは銘酒珍酒、
ややっ、若水で作った清酒とやらも。これじゃあ、待ってる方
 がなんぼか辛かろうにと思いきや、さらに、到着組の鞄からも、
いろいろ出る出るお酒に、黒豆。わわわわぁー、グラタン。す
っかり食らいつきそうになったその時、薄さんからケイタイあ
り。やーだぁ、一時間間違えちゃった・・・とのこと。   
 はっと我に返った一同、薄さんの到着を待って、歌会は始め
られたのでしたが、ルールどおりに表六句は飲食なし。ただ渋
茶あるのみ。こんなにあるのに、と目は虚ろで心なんかチリパ
ラしちゃって、腹は鳴るし。当然と言えば当然ですが、そうい
うときの急ぎ仕事ほど、時間のかかるものなのでした。その詳
細は連句のコーナーで。                 
  と、編集後記で、前振りをしましたかが、実は、今回はもう、
 飲めません、食えません、でも飲んじゃいます食っちゃいます、
おいちぃから。という九時間を越す長い歌会とも宴会ともつか
ぬ、夢の宴だったのであります。まったく、今までも長屋の連
句は長いけれど、今回は長さだけではなく、かなり比重が宴と
いうか、新春の寿ぎというか・・・まったく私個人としては個
人史的にも記録的かと。                 
                            
  毎回連句の様子を記事にしてお届けしています私の楽しみは、
録音されたテープを聴くことにあります。これが楽しいの、め
 ちゃくちゃ。もう、売り出しちゃおうかと思うくらい、CDで。
いゃあ、蓮衆の方々も最初は録音を気にしていたのに、この頃
はマイクを忘れてぜんぜん生のまま。人生の深淵をのぞような
呻き声や、炸裂する爆笑。凍るほどの沈黙。吸う息が聞こえ、
吐く息の滞るのが伝わる。                
 飴をしゃぶるように、また、カレイの骨についた身を啜り取
るように、それを聞きながら、まさに骨までしゃぶる連句会な
のですが、今回はなんだかいつもと違うのです。      
 「突撃 隣の大宴会」みたいな感じで、素面ではとても聞け
たものではありません。そこで、ちょっと飲酒をすると、これ
がたちまちノイズが消えて・・・。深夜の炬燵でくっくっくっ
と含み笑いをしつつ、メモを片手に夜を過ごしたのです。そし
て、暁の空に蛤の吐息のようにふっと息を吐く、なななんとそ
 こに蜃気楼が。ぎゃっ、ご隠居の顔が逆さにお空に浮かんでる〜







2003年12月26日



【みんなを吟行に連れてってツアー】              

 長屋の連句も回を重ねると、なんだか俳句というのも気にな
りだしてくる。かねてから憧れていた吟行というものもしてみ
たい。句会というのもしてみたい。してみたいみたいみたい、
と夢はアドバルーンのように膨らんで頭上をゆさゆさ飛ぶもの
だから、その鬱陶しさに思わず「みんなを吟行に連れてってツ
アー」が企画されたのでした。              
 折しも俳人堀口みゆきさんが、長屋の連句会の宗匠になって
くださる怪しい縁におんぶにだっこで、なんにもわかりません
が「みんなを吟行に連れてってツアー」をよろしくお願いしま
すということになりました。               
 というのも、引率してくださるはずのご隠居はな、な、な、
なんと吟行をしたことがないというのです。未経験、初体験、
怖い、怖いを連発しつつ、もうまな板の鯉だ、さあ殺せと、ま
な板やら包丁やらも自分でもってくるという具合(これは例え
ですから)。それには堀口みゆきさんもふふふと笑われて、「
みんなを吟行に連れてって」は不思議なことに、気がつけばご
隠居もまじえた全員合唱となっていたのです。       

 時は11月4日。場所は鎌倉。ちょっと定番過ぎましたでし
ようか。でも、ぜんぜんいいの。「遠足みたいね」と家人に笑
われた方もあって、まあオトナの遠足という風情か。午前10
時半集合、各自手弁当、駅弁だけど。吟行というからには、見
て歩く、考えながら歩く、立ち止まって考える、静かに観察す
る、心の引き出しから思いを(恨みつらみじゃないよ)出して
みる、臭いを嗅いだり、触ったりしてみる、迷子にならないよ
うにも心がける。ということをしながら、当然、俳句の題材を
もとめて歩くわけです。                 
 そして、後に句を作る時間を取り(あんまり長くないの)、
それで句会を始めるという段取りなのです。だから、楽しいこ
との後にたいへんなことがあるという、遠足の宿題は感想文ね
みたいな、段取りが。                  

  出発は鎌倉駅。縦にのびたり、横に並んだりしながら一同は、
おうめさまの愛称で親しまれる大巧寺から、八角形の夷堂のあ
る本覚寺。猫がまどろむ妙本寺から、さらにぼたもち寺こと常
栄寺へ。ここで、句会の場所である光明寺に到着していなくて
はならない時間となる。あとは、町並みとか人の姿をじーっと
観察しつつ足を速める。お寺ばかりみていても楽しいのだが、
それでは吟行にはならない・・・らしい。         

 荘厳な山門と本堂が浄土宗大本山の格式を物語るとガイドブ
ックには書いてあったが、なるほどなあと見上げる山門。夏に
 は大賀蓮の咲くという池も今は枯れて趣のあることといったら、
はあっ。ここで、私たちはお部屋をお借りして、お弁当を済ま
せ、さっそく句作りに励むのでした。持ち時間は、1時間もな
 い。午後2時には各自5句ずつ提出しなければならぬとのこと。
「では」と堀口みゆきさんの声で、外へ飛び出すもの、動かず
見てきたものを回想する人。庭に出ても、人の見ているものは
見ない。ひとり、創作の場所と風景を探す。5句というのはむ
ごいことだった・・・と個人的には思う。最初からの堀口みゆ
きさんのアドバイス、事前に作っていってもつまりません、の
言葉に従い全員丸腰である。よーいどんである。時間はすぐに
たち、私たちは句会へと突入した。            

 各自短冊に1句ずつ書き入れる。ひとり5枚の短冊が無記名
で、堀口みゆきさんの前に出される。それをシャッフルして、
今度は1枚の紙に5句ずつ書き写される。誰がどの句を作った
のかわからない。5句ずつの束が用意されたところから、さら
なる脂汗となる。今更流しても仕方がないんだけれど、ここか
らはみんなで句を選ぶというクライマックスというか、楽しき
ゃいいじゃんじゃあすまないよ、が始まるのである。    

 自分の句を選んではいけないというのも辛い。奥ゆかしくな
いので選びたくなっちゃう。でも、最後に誰の句かわかっちゃ
うので、恥の上塗りなだけであるから我慢する。そして、何人
の人に選ばれたとか誰にも選ばれなかったとか、そういうこと
 が赤裸々になって胸苦しいままに、突然句会は終わった。うん?
これで終わりですか・・・                

 その後私たちは駅に戻り、喫茶店で堀口みゆきさんに講評を
していただいた。みんなも意見を言ってみたりした。そして、
さらに愕然とする。選ばれるということと、句の善し悪しとは
違うというすごいこと。選ぶというのは選ぶ方も眼力がいるわ
けで、眼力のないものが、あーだあ、こーだあ、と言ったって
目くそと鼻くそが、そっちがデカイのこっちが丸いのと言い合
っているようなものなのである。堀口みゆきさんはひとつずつ
 の句の、どこがどういうことになっているのかを教えてくれた。
突然、状況がわかった。私たち「吟行へ連れてってツアー」の
面々の俳句の腕前である。ああ、そんなこと、最初からわかっ
ていたのに。最後になってふたたび確認するなんて。それも、
小手先でどうにかなるという程度ではないということも。そし
て驚きつつ、小説と俳句の間には深くて真っ赤な河が流れてい
るらしいと気づく。このことは後に、この吟行の掲載方法を巡
って、私すりきれの頭を悩ませることとなるのです。しかし、
それはさておいて、まだまだツアーは続いたのです。    

 時は6時を回り、空は程良い色になり、ここらで泡のあるや
つでもということになって、居酒屋へ。しかし、ここからがご
隠居のすごいところなのだが、乾杯するやいなや「もっと作ろ
う」とお箸の袋なんかひらひらさせている。ええーっ、とはっ
きり拒否の声上がるも無視。「お題はふたつ」ということで、
「光」と「食物」。やだやだと言いながら、もう季語集をめく
る者、テーブルの下で指を折る者、ぶつぶつつぶやいては泡を
すする者と、嫌いじゃないからまた始まっちゃった。それが、
お酒のせいか、緊張の糸が切れちゃったせいか、なかなか楽し
い句がでた。                      

さて、おまけの居酒屋句会は盛り上がりましたが、一抹の不
安が脳裏を走りました。連句会にお酒は付きものでした。俳句
は渋茶かと思っておりましたのに・・・いいのでしょうか、ほ
んとうにいいのでしょうか。               







2003年10月28日



● 季語集はいろいろ出ていて、本によっては季語の時期が違
うものもあるそうです。なにせ、体の感じる季節とイメージの
季節もずれるのに、季語はさらにずれるものだから、頼るは季
語集なのです。しかし、気になり出すと気になることだらけ。
例えば、朝顔は秋の季語です。しかし、朝顔の苗は夏で、朝顔
の実は秋で、朝顔蒔くは春なのです。当たり前のことと言えば
当たり前なのですが、あわてると朝顔は秋じゃんということに
なって、朝顔とつけば全部秋だと思ってしまいがちです。季語
集も暇なときにはよくよくめくってじーっと見ておかなければ
ならないのです。                    
 この頃、突然動作を止めて、右手の指を折っり、ポケットか
ら季語集を出したりしてめくってみたりしているのは、たぶん
どこにいても恋人を思い出さずにはいられない恋した者の感じ
に似ています。そんなふうになるまで、連句会は四回でした。
恐るべき連句の力、抗うすべもなくただ太陽を見上げては指を
折り、風の匂いをかいではポケットをまさぐり、秋なのに春を
思い、夏を感じ、真昼に立待月を見て目を細め、語感を楽しむ
 ようにぶつぶつとつぶやけば、あやしうこそものぐるほしけれ。
 しかし、これは私に限ったことではありません。長屋の蓮衆
はみな、あやしうこそものぐるほしけれです。あーあ。   

● ご隠居の弟子たちの集う「自主講座横浜文学学校」も、新
年度を迎えました。ただいま新会員募集中です。      
http://art.upper.jp/yokobn/







2003年10月1日



沖縄の風に憧れつつ開催された「チャンプル・バトル」の死闘
に思わぬ敗北を記したすりきれチームの赤涙の弁   

なんか、長い題名ですみませんが、これだけ長いともうすべて
語っちゃった気持ちになるのが不思議です。スローガンとして
はいいのか、悪いのか。説明ですますか、シーンにするか、さ
らに迷いましたが、テーゲーで。長くなったらごめんなさい。
あまりにも主観的に書かれているので、ノンフィクションでも
なく実況報告でもありません、手記だと思ってください。まだ、
涙が止まらない。                    

☆☆☆☆☆☆☆

「僕のゴーヤチャンプルをみんなに食べさせたいなあ」と、ご
隠居は長屋の庭の手入れをしながら言いました。「誰にも負け
ないおいしいやつだよ」と言いました。私のフーチャンプルも
おいしいよとすりきれは申しました。そういう会話は黒カビに
似ています。見た目にはわからなくとも少しずつ深く菌糸が張
りめぐらされていくのです。そして「もう、どっちのチャンプ
 ルがうまいか、対決するしかない」という所まで行き着くには、
一月もかからないのでした。最初の企画では、開催日は梅雨時
でした。それが、秋の台風シーズンに変更になりました。結果
としては、天候にも恵まれ、充分な練習とチャンプルに対する
思索が行われたわけで、もう柿は熟し、栗は実を入れて自ずか
らイガを割ったのです。例えとして適切か・・・不安だが。 

正式を記すると「ご隠居チーム」と「すりきれチーム」対抗の
チャンプル・バトルは、本来はふたりの対決のはずだったので
すが、露骨な対決は怨恨へとつながることを畏れて、ここはチ
ームというぼやぼやっとした感じで輪郭を薄めようと、お互い
のオトナの部分で決断したのでした。「ご隠居チーム」には、
前文芸雑誌「そして」の山本氏と文学学校から土岐氏が参加し
ました。「すりきれチーム」はすりきれとさや子氏のふたり組
です。たがいのチームは事前に製作する料理を公表していまし
た。                          
ここであらかじめ予定されていたレシピを紹介します。   

ご隠居・・・ゴーヤチャンプル              
山本氏・・・ペペロンチーノ(なぜにか、ゴーヤバトルで) 
土岐氏・・・最後まで秘密(野菜炒めだった)       

すりきれ・・・フーチャンプル・ゴーヤサラダ       
さや子氏・・・ゴーヤの肉詰め              

もう問題は明らかになっているのです、ふたつも。ひとつは山
本氏のペペロンチーノにあります。これがチャンプルバトルの
メニューとして掲げられたことの奇怪さにご留意ください。し
かし、それはすりきれチームにもいえることだったのです。す
りきれもここでは当然「ゴーヤチャンプル」で勝負しなければ
ならなかったのです。それをフーチャンプルにしたのは、それ
ほどにすりきれのフーチャンプルがうまいからです。しかし、
チャンプルといえばゴーヤなのです。すりきれの犯した間違い
は最後までその影を引きずることになったのでした。    

互いの事前の練習や準備の甲斐あって、バトル開始前の下ごし
 らえも余裕ですませ、遅刻組も(いろいろ訳ありで)到着して、
ではバトル開始と宣言したのですが、ここで驚くことに山本氏
 のメニューがオムレツに変更していることを知る。生ハム添え。
くくぐっ、イタリアンポイじゃないか、なのに、後の合評です
りきれのフーチャンプルに入れた「ちんげんさい」を沖縄ふう
ではないと酷評したんだ・・・忘れないぞっ。       

確かにフーチャンプルにちんげんさいはうまい。白キクラゲも
ぺろぺろしていておいしゅうございます。ナンプラーを隠し味
にいたしました。菊水もじゃあじゃあ入れました。うまいうま
いと召し上がった皆様は、最後にうまいけど違うとおっしゃい
ました。もっと素朴なはずだと。くくくっ、褒めたけど殺した
な、ぐさっ。それに引き替え、さや子氏の肉詰めゴーヤはよい
評判でありましたのに、必ず躓きを発見するご隠居は「もう少
し薄く切ってあればさらによい」と憎ったらしい口を・・・つ
ねってやりたい。。。                  

ご隠居のゴーヤチャンプルは、一晩重しをされて、ぎゅっと固
くしまった豆腐で作られました。寝押しなのか、どなたのか。
固まった豆腐は島豆腐と化していて、薪の安定しない火力でも
充分においしさを伝えていたのです。ご隠居はスパムを使わず
豚肉で作りました。これも成功でした。すりきれが使ったスパ
ムは、ヤマトンチュウには好き嫌いがあるのでした。ウチナン
チュウにもあるんだろうけど、今回はかなり嫌われたもよう。
豆腐うまいっ・・・これが今回の勝敗の分かれ目でした。キー
ポイントは、「一晩寝押しした」と「素朴な味わい」です。さ
らにです、山本氏のオムレツはうまいのでした。土岐氏が差し
出した野菜炒めは、薪割りと火の係りをチームの枠を越えて手
伝った人柄の伝わるおいしいものでした。なぜにか「ゴーヤ」
という名の付けられた魚の粕漬けも、ご隠居チームの作品とな
っていた。これについてはコメントを避けたい・・・くーっ。

勝敗がついた時点でここから無礼講のBBQになるはずが、勝
敗なんか関係なく無礼講にはもうなっていて、飲み物は泡盛、
ビール、ワインにカルーアミルク! 結構日射しも強く、かす
 かな潮風も。ボーボーと薪も燃えて、こうなったら踊るもんね、
歌うもんね。カチャーシーとフォークソングってすごい取り合
 わせ。でも、この恐ろしいほどのミスマッチこそ「チャンプル・
バトル」を象徴しているようでもあるのでした。テーゲーの精
神と、べストを目して一歩も引かない精神は矛盾するようにみ
えますが、このチャンプルという言葉にであうとふたつの精神
 がまざりあってあることも不思議ではないような気になります。
  というところまで、持ち上げて(悔しさをバネとしてだけれど)。
またいつか、やりたいねと全員、たぶん本気で大満足でした。

翌日届いたご隠居のメールによると、ご隠居は帰宅後15時間
爆睡して、猛烈に腹が空き、チョコレートとパンを食べて、再
び爆睡したとのことでした。息はしていると、その寝姿をごら
んになった青子氏からもうかがい、恐ろしくも、また悔しくも
なるのでした。勝者の甘い眠りです。赤涙止まらず。。。。 







2003年8月18日



 今更だが、ご隠居は雨男だった。それもあちこちで警報の出る
ほどの悪天候。電車も止まるし、遅れるし。私も遅れて到着した
ので、多分ご隠居のお話があったはずなのに、もうすんでいて、
ご隠居はすいとんをすすっている。
 昨年うたごえ喫茶復刻版「ロシア民謡の夕べ」の取材でお世話
になりました、江ノ電沿線新聞社の方にさらに親切にしていただ
き、会場となったカンパリクラブの方には、すいとんの写真等で
お手数をおかけしました。ありがとうございました。
終戦60年へ向けて、この「すいとんを食べながら語りましょ
う」会は続く予定だそうです。
語り継ぐことの難しさも話されて、記憶の喪失に対する切迫した
不安を感じつつも、有意義な一日を過ごしました。
会には画家の田口雅巳さんも見えていらっしゃいました。ゆり
はじめさんと田口雅巳さんとご隠居と、今は亡き青木雨彦さんの
四人で作っていた猫の目連句会。今も続いています。この色紙は
そこで作られた近々のご隠居の一句に、田口雅巳さんが絵をつけ
 てくださったものです。写真の関係で見にくいかと思いますので、
ちょっと補足しますと、ピンクの絵の具で書かれている裸婦の上
で、ガリコツ(横浜弁ではこういうそうです)がいろいろしてい
るのです。田口さんはガリコツに、ナンバ歩きにはご隠居が熱い
思いを抱いているようでした。










2003年8月12日



 この頃気づいている・・・ご隠居は雨男である。花火大会と
いい、今回のことといい大雨である。とんでもないことに今回
は台風まで呼んでしまった。本人は嵐を呼ぶ男だと言っていた
が・・・。                       
 天気がよければ、さぞや人手があったものをと悔やまれる。
しかし、新聞取材があって、翌日の朝刊を読めば、なるほどこ
うまとめるのかと感心しながら、これが今後の集客に結びつい
てくれるのを期待しちゃう。               

    
翌朝(8月10日)の神奈川新聞の切り抜き
さらに朝日新聞の神奈川版にも


今回初めて、疎開派という言葉を知った。言葉どおり、疎開
した経験のある世代である。もちろん、残留組も入る。学童疎
開が開始されたのは昭和19年夏のことであった。その時の横
浜市の疎開該当児童数は67664人で、これは国民学校の三
年生から六年生までであった。そして、翌20年の10月の後
半に横浜に帰ることがようやく可能になった。では、全員が終
 戦まで戦火のない地方(集団疎開の場合は神奈川県内であった)
にいたのかというとそうでもない。            
 途中で、年度がかわり、学童は進級したり、卒業したりして
いる。新三年生が加わり、六年生は卒業していく。国民学校を
卒業すると疎開から返されるのだが、翌20年の5月には横浜
大空襲があり、卒業して疎開先から戻れば大空襲を体験したと
いう学童も多かった。また、疎開地で大空襲の犠牲になった肉
親の報を聴いた学童も多かったという。          
 はっきりした数は公表されていないが、全国では百万人と推
定される学童が、縁故疎開、集団疎開をし、一握りの学童は病
弱のため疎開残留となった。               
 この学童疎開に引っかかった世代、戦局のどん詰まりの中で
親元を離れて集団生活を余儀なくさせられた世代は、疎開残留
 をも含めて、ある一つの戦争を体験している。こどもの戦争だ。
 そして、その独特の共通体験を持つ世代が疎開派世代であった。

 そもそも学童疎開とは何だったのだろう。今回、この催しを
通して知ることになったが、会場で売られている「横浜市の学
童疎開」は1996年3月に出版されたものだが、とてもよく
調べられていて、横浜市の学童疎開の状況がつぶさにわかる。
横浜市内の学校、図書館で閲覧することができ、また、三千円
で発売もされている。                  
 横浜市にその必要を説き編纂を行ったのが「横浜市の学童疎
開50周年を記念する会」である。この会はその後解散し、問
題を継承する形で今回取材した「横浜の疎開と空襲」を企画し
た「疎開問題研究会」が1997年9月に発足するのだが、学
童疎開に対する活動を通算して10周年としている。その歩み
が、「疎開問題研究会十周年の軌跡」としてまとめられて、8
月12日に出版の運びとなった。この催しに間に合うようであ
る。                          

 あの戦争から半世紀以上がたって、象徴としてのいろいろな
ものが残ったが、本当に苦しかったことが洗い流され、ノスタ
ルジックに戦争が語られることのないように、疎開派世代は目
玉をぎょろぎょろさせていて欲しいと思わずにはいられなかっ
た。                          








2003年7月9日



 6月15日の連句会のもようを、巻き上げました歌仙ととも
にご紹介させていただこうと思っておりましたが、ごめんなさ
 い、担当しましたすりきれは耳を痛めまして、ダウンしました。
テープおこしがままならず、記憶も薄れ、ええいそれなら結果
だけをドカーンといくべ、そうすべぇとなりました。    
 ご隠居のうんちくによると、連句は過程がすべてで、巻上が
 った時はすべて終わっているというものらしいのです。ならば、
その過程を実況報告みたいに皆様にお伝えしたいと思ったので
すが、なにせ知識もなければ素養もなく、記録を頼りに行くし
かないすりきれは、テープのおこせない今回は沈してしまいま
した。                         

 あはははは、でもね、記録はテープだけではないのでした。
こんなものも、ありました。               

 「兵站部特集」です。三段重ねの重箱は長屋の花見のごとく
です。が、その前に置かれた瓶の中の赤い液体は、鬼灯さん手
作りの「イチゴ酒」であります。並べられても見るだけ。表6
句が終わるまで、お茶しかすすれないのですが、今回は「ミン
ト」のお茶がやはり鬼灯さんより差し入れられて、清らかな香
りに包まれつつ、連句会は始まったのでした。       
 自慢ではありませんが、長屋の連句会は表6句が早い。大き
な声では言えないけれど、「兵站部」の力だと思います。  


 今回は酒量は穏やか。なにせ、会場の関係で場所を二度ほど
移動しなければならないというプレッシャーに、正気を保つこ
とが大切ということが全員に行き届いていました。なんだか、
本末転倒だけど。竹林の七賢人みたいにゆらゆらと巻きたいの
ですが、かなりまっすぐな感じで進行しました。これは一度目
の移動の後。食べ物や飲み物もあらかた各自のお腹に納まった
頃。外は夕心を誘う色合い。芽笹さん、そよとも乱れず。まな
ざし一直線。                      

机の上にはデザートと、空っぽのお皿が。

      

 さらなる移動後。居酒屋で、残るは三句のみとなる。かなり
厳しい表情の西北さん。しかし、何故に厳しい表情なのかはテ
ープをおこしていないのでわからず。           


 生ビールは大ジョッキだったかも・・・。


 反省、どうしてこういうものしか撮っていないのか。これら
の写真と、歌仙「夕心の巻」を頭の中でミックスしてご想像く
ださいというのは、ほんとに気がひけるのですが。     









2003年4月25日



 今回は「歌会」のテープおこしについて。対談や講演会のテ
ープおこしは、少し聞いていると、この対談が失敗だったなあ
とか、講演会ものんびりしちゃったなあとかわかって、それな
りに困ったり投げ出しちゃったりするんだけれど、テープおこ
しの中で最後までどうなっちゃうのか予測が立たないのが、こ
の「歌会」のテープおこしなのです。           
 おかしいとお思いでしょう。そうです、おかしいのです。第
一にテープおこしの時点ではすでに、歌仙36句は巻あがってい
るのです。そのうえ、私も白舟という名で出でいて、うーんう
ーん唸ってもいるのです。結果がわかっていて、途中も立ち会
っているのに、予想が立たないというのはどういうことでしょ
うか。                         



 それは、細部なのです。悶絶しながら漏らすひとことや、短
冊を読み上げられたときのどよめきや、ため息、息を吸う音、
止める音。そして、ひそひそ笑いと、爆笑。そのひとことを言
い換えるために、みんながふり絞る大量の言葉。イメージの共
有される空気さえ、聞こえるのです。五七五や七七は水面に出
ている部分で、水面下に広がる大きな氷山をみなで、つつき合
うのです。それが、記録されているのを聞くのです。時間にし
て、8時間近く。                    



 緊張や、冷静さの持続などはありようもなくなって、各人の
取り繕うすべもなくしみ出してくる中身が、テープには記憶さ
れているのです。だから、最後まで「歌会」のテープおこしは
デンジャラスなのです。ここをお伝えせずに、なんの実況報告
でしょうか・・・・あれ、いつの間に。



 発見があります。それから、追体験の楽しみがあります。一
 粒で二度おいしいのです。どうも、病み付きになってきている。
いいのだろうかこんなでと思いつつ、次回の歌会を楽しみにし
始めているすりきれです。これは、負け惜しみの記事ではあり
ません、やーい、すりきれ、苦しかったくせにあんなこと言っ
てらと思っていらっしゃる方、なんなら一度「歌会」テープお
こしをさせて進ぜましょう・・・・ふふふふふふ。       








2003年3月15日



 
 3月7日の午後、長屋組は鎌倉駅前の鳩サブレのお店の3階
で、しこしことこのようなことをしておりました。     



 ホームページのアドレスを知っていただきたい、ぜひ遊びに
来ていただきたいという願いから、ホームページの名刺を作っ
ちゃったのです。写真入りです。この写真は、ホームページの
表紙と同じものを使わせていただきました。        



 今回は使用しませんでしたが、隠れた一枚の写真があって、
制作にあたったじゅげむの頭を悩ませたのでした。     


 その一枚とはこれです。私たちじゅげむとすりきれは、これ
を「さばカード」と密かに呼びました。さばをよむ、のさばで
す。この写真には「ふさふさ」という題名もありました。冷静
に判断して、私たちは使用を諦めました。         
 ニヒルです。文学青年です。くらっと来ます。しかし・・・・で
す。                          
 ならばこっちの方がいいです。             
「おびんずるさん」とご隠居は嫌がりますが、まっことかわ
いいです。                       


期せずして3枚並べてみると、深く感銘を受けます。現在の
 なまご隠居と「おびんずるさん」のご隠居はどこか似ています。
とくに、ほろっと酔っぱらってうんちくを傾けたあとに、少し
恥ずかしそうに笑ったときです。今度は、その写真をゲットし
てみましょう。








2003年2月22日



 ホームページでは、だいたいスケジュールを決めて、ゆっく
りだけれど、休まずに更新し続けています。このホームページ
には大きく二つの枝があって、それは、宮原昭夫という作家を
楽しんでいただきたいというのが一番のねらいなのですが、同
時に「横丁のご隠居学」の普及をめざしてもいます。まあ、二
つとも同じことなのですが。
 もう一つの枝は、ご隠居があちこちに書いているエッセイや
随筆を分散して失ってしまわないように、ここにしまっておく
という役目もしています。それは、遅々として進みませんが、
誰のせいかははっきりとしています。
 さて、エッセイを入力するのは随時ですが、そのほかの作業
はだいたい段取りが決まっています。毎月「月だより」をご隠
居が書いていて、月の半ばには技術担当のじゅげむとわあわあ
担当のすりきれが、ご隠居に関する記事を一本書くというのが
基本のスタイルです。その後、編集室にうまくいかなかった言
い訳や不満を編集後記(横丁の裏話)としてぶつけるように書
く、ということがこの頃のパターンですが。
 2月12日のお昼に、企画会議が開かれました。場所は潮風
の街、辻堂。そこで、飛び出したアイデアを、これから形にし
ていくのです。「文成丸釣飲会」のように、軽々と行きたいも
のです。わあわあ楽しくやりたいものです。この写真は、打ち
合わせをした場所そばの画廊の前にあったもの。かわいかった
ので、写真に撮りました。ご隠居とじゅげむには受けませんで
したが、すりきれはラブリィだと思っています。

  同じく、ラブリィなもの。ご隠居の自家用チャリです。自宅
には3台あると自慢でした。               


  最後になりましたが、表紙は「そして企画」の催し案内です。
『文芸誌そして』は現在休刊中ですが、「そして企画」の出版
した『文芸誌そして』と単行本たちの装丁に使われた絵を中心
に展示します。長らく『文芸誌そして』の表紙を飾った宮原青
子さんの絵が待っています。どうぞ、いらしてご覧ください。
また、併せて、お話会もあります。生ご隠居も出演する予定で
す。「ホームページを見てきました」と言っていただくと、ご
 隠居が抱擁してくださるはずです。握手かも知れませんが・・・・。








2002年12月18日



 じゅげむが雪だるまの表紙を作り、「バイカル湖のほとり」
を流したり、雪を降らせたりしてみんなを驚かせた日の翌日、
本物の雪が降った。さらにその翌日、雪こそ溶けたけれど、寒
さは相変わらず厳しい12月10日午前10時、じゅげむとすりきれ
のふたりは、「ご隠居話題コーナー」の取材のために、東急反
町駅改札で待ちあわせをしたのでした。横浜市神奈川区松ヶ丘
というのはご隠居が生まれて育った土地で、私たちはそこへ行
こうとしていました。ご隠居の生まれ育った土地を歩いてみよ
うというのが目的でした。                
 私たちは夕方までかかって歩き回り、帰りには横浜市中央図
書館へ寄って古い地図も探しました。それを現在の地図と照ら
し合わせてみました。そして、おおよそ「搖年記」に書かれて
いた場所と、今日歩き回った場所が重なることを確認して、ふ
たりが解散したのは、午後6時半を過ぎていました。充実の一日
でした、寒かったけど。                 
 このちいさな旅は「話題あれこれ」でご覧ください。   
 ご隠居の幼年時代を知るには、二つの手引きがあります。 
 ひとつは「搖年記」という本です。この本は今回の旅の羅針
盤でありました。宮原昭夫少年が、小学4年生と5年生の夏休
みと、冬のある時期に書いた日記で、それには日記のほかに、
当時書かれた小説が二編と作詞作曲した歌が入っているもので
す。もうひとつは、その20数年後に発表された長編小説「ごっ
たがえしの時点」です。まさに、その日記に書かれた時代を書
いたものなのです。                   
 この二つの手引きには、大きな裂け目があって、それを気づ
いてしまうと「搖年記」の生真面目で光り輝く少年の内面に心
が行って、胸が詰まりそうになります。二つの本はまったく違
うアプローチで少年宮原昭夫を描いているのですが、上等な版
画の色を重ねていくと、突然現れる新しい姿に驚かされるよう
に、宮原昭夫少年の厚みのある姿が立ち現れてきました。  
 「ごったがえしの時点」では、軍隊を模したような悲惨な戦
中の小学校生活の中で、お嬢さんと呼ばれた少年がいかに痛め
つけられていくかが書かれているのでした。「搖年時代」で自
ら書いた日記と、20年後に書いた少年とは、天国と地獄ほどの
落差なのです。そのことを、ご隠居に訊くと、ご隠居はにこに
こ笑って、だから僕はずーっとおねしょをしていたんです、と
言ったのですが。                    
 いつか、この二冊の本を並べて販売することが出来たら、と
すりきれは胸を熱くしたのでした。そして、もっと、ご隠居を
大切にしょうとも思いました、なぜゆえか。        








2002年10月1日


★私たちの名前のこと                                    
 いよいよ明日にはホームページが立ち上がるというのに、私
たち、AとBには名前がないのです。ご隠居がつけてくれるは
ずなのですが、いくつかあった案がじぇんじぇんおもしろくな
 くて、だってトラだっちゅうの。いやじゃん、トラは。それで、
トラはいやですもっと愛らしくも私たちらしいものをつけてく
だされ、とお願いしたら、じゃあ落語から拾おうかしらんとか
言って、まだ拾ってくれていないので名無しなのです。名前が
ないというのは、足のない幽霊みたいなもので、ふわふわして
いてちょっと無責任になりそうで怖いです。早く、名前を付け
てください。じゃないと宮原照とか宮原昭夜とかしちゃいます
ぜ。と、書いていたら、名前が送られて来ました。それによる
と、「おさき」と「おそめ」とのこと。。。「おさき」は紐を
養う女髪結い。「おそめ」は売れない女郎だってさっ。いやだ
ぜ。
 そこで、ふたりでデコをくっつけて、自分たちで決めちゃい
ました。「じゅげむ」と「すりきれ」です。なんだか、すごく
気に入っちゃっています。口の中で名前を転がすと、かなりい
い感じなのでこれでいきまっす。             


★ご隠居とパソについて                 
 すっごくおかしなことですが、ご隠居はパソなしです。近々、
パソの導入される予定ですが、IT講座に通う必要があるかも
知れませんが、パソの手引きや入門書にどんなに目新しい単語
やとんでもない文法がでてきても、小説家というものは、およ
 そ文章のプロなので、私は基本的には心配はしていません。と、
プレッシャーをかけておこう。それに、ワープロ(古いルポら
しい)では、ブラインドタッチで行けていたとのことなので、
仕事も速いだろう。とも言ってみる、むーん。       


★私たち裏方「じゅげむ」と「すりきれ」の仕事ぶり    
 「じゅげむ」が技術主任で、「すりきけ」がわあわあ主任で
す。当然ご隠居が主人公で、もり立てていく役目なのです。ご
隠居はご隠居でも印籠の方ではありませんので、絶対、私たち
は角さんと助さんではありません。そこで、もり立て方も、ち
ょっと控えめで、裏方で行きたいと思っています。とはいいな
がらも、横丁の裏話やご隠居の寝言もこそこそ書くかも知れな
いし・・・・まあ、始まってみないとわからないのです、デンジャ
ラスです。                     


★掲示板についてです                  
 掲示板は「横丁の掲示板」となっています。文学のことでも
いいけれど、本に関することや、ご隠居に直に聞いてみたいこ
とも、大歓迎です。また、ご隠居の目玉をでんぐり返すような
お話も歓迎します。ご隠居は、村上春樹に負けない丁寧親切、
そしてうんちく好きですから、ご心配はいりません。ただし、
お返事にしばらく時間がかかることがあります。それは次のよ
うなことが原因だからです。               
 ご隠居が自宅にパソを導入するまで、掲示板に書き込まれた
メッセージや質問は、すりきれが打ち出してファクスでご隠居
に渡して、ご隠居にお返事をいただき、わあわあと入力すると
いう手順が続くからです。しかし、わあわあ主任であるすりき
れは掲示板の担当者でもありますから、掲示板の活性化には積
極的です、ふんがー(鼻息の音)。            


★ではでは、始まります。ここに、横丁のご隠居(ご隠居学)
にあこがれる芥川作家がいます。一人の裸ん坊の作家です。サ
ービス精神旺盛で、意固地で、頑固で、人好きなのに自分嫌い
 な。多分、少しの隠し事もなく、カッコはつけると思いますが、
裸ん坊でここに立っています。どうぞ、よろしく、はじめまし
て、こんにちはです。                  

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